TV番組はもっぱら録画で見るものですから、その内容を話題にする頃には
すでに周回遅れになっているのが常ではありますけれど、
出張に行ったり両親とこへ出向いたりという週末が入ると録画ばかりが溜まり気味になりますな。
だもんで、ここでTV朝日「題名のない音楽会」が…と語りだしても、
実は2週間前の内容だったりするのでありますよ(笑)。
とまれ、登場したのは伊藤多喜雄とTAKIOバンドなのでありました。
と、やおら話は変わるようながら、つい先ごろに運転免許の更新をしてきたと言いましたですが、
実は昔、仕事の関係でどうしても期限内に更新手続ができず(昔は期間が短かったですよね)、
失効させてしまった経験がありまして。
単純な更新であれば簡単に済むところが、
失効させてしまいますとまずもって最寄りの警察でなくして運転免許試験場に行かねばならない。
ですので(たくさんの(簡単に手続きのいかない人たちが集まりますので)待ち時間が実に長く、加えて講習時間も長く、費用も多く掛かるといいこと無しなのですなあ。
ですが、その際に長い待ち時間を過ごす間に待合スペースのTVから流れてきた音楽が
何ともノリのいいリズムでありながら、民謡であることに気付いたのでありますよ。
それが伊藤多喜雄の「ソーラン節」だったのですなあ。
その後ほどなく「TAKIO」なるCDを手に入れたのですが、
後にも先にも生涯でただ一枚自ら購入した民謡のCDとなっているのでありますよ。
とはいえ、先の「題名のない音楽会」で紹介されていましたように、
伊藤多喜雄の「ソーラン節」はドラマ「3年B組金八先生」で取り上げられて以来
全国の小中学校の運動会で子供たちが踊る曲として定番になっているのだそうな。
「ソーラン節」はすっかり全国区の存在になったようなのですけれど、
ここでちと考えておかなければならないのが、単に「ソーラン節」が全国区というのでなくして、
「TAKIOのソーラン節」こそが知れわたっているというべきなのでしょう。
かつて運転免許試験場で耳にし、買ったCDでは
「にしん来たかとかもめに聞けば わたしゃ立つ鳥 波にきけチョイ」という
まさにソーラン節じゃあという歌詞で歌われていたものですが、
それが番組で流れていた歌詞は新しく付けられたもののようでしたし。
つまりはごく普通に「ソーラン節」として知られる民謡とは違うという点で
「TAKIOのソーラン節」と言われるのはもっともなことなのでありましょう。
以前、Eテレ「らららクラシック」でスティーヴ・ライヒ を取り上げたときに
「クラシック音楽ってどんなもの?」といって「楽譜を大事にする」てな答えがありましたですね。楽譜の作り手たる作曲家を大事にすることもあろうかと思うところでして、
クラシックの曲が「演奏家○○の曲」というより「作曲家◇◇の曲」と言われる場合がほとんど。
翻って民謡も、もともとの作者は不詳ながらも歌い継がれて曲の調子が定まり、
基本の形がすでに出来上がっているものと思うのですね。
それを多くの民謡歌手が歌ったりしますが、
そのたびに「民謡歌手何がしの何とか節」とは言われない。
その点では民謡はクラシカルな楽曲に近しいところがあるといいますか。
そうした中にあって、「TAKIOのソーラン節」といった曲が生まれてくる。
背景としては、本来的に仕事唄、生活に密着した唄で身近にあった民謡事態が
すっかり生活から離れ、いつしかわずかな愛好者だけが耳を傾けるものに
なってきてしまった…ということがありましょう。
これはCD解説で伊藤自身も触れていることでありますよ。
ですので、あれこれの鳴り物も加わってアップテンポで歌われる「ソーラン節」は
今様に近づく術として生み出されたものかもしれませんですね。
その結果、伊藤多喜雄が入口なって民謡に触れるという人が少しでも増えることはありましょう。
が、それが本来的な仕事唄だったりする民謡そのものとして受け止められるかは微妙。
時代が変わったともいえるでしょうから…。
