ちょいと前のことになりますけれど、

自転車で昭島方面に出かけてきたときのことでありまして。

ちなみに住まいからJR青梅線の昭島駅は7kmほどですので、

まあちょうどいい運動でもあると言いましょうか。


と、出かける際に「このところ、前輪の空気が抜け気味だったかな…」と思い立ち、

少しばかり遠出であることからも、空気入れでしゅっしゅっと。


万端怠りなくという心持ちで走り出したわけですが、道半ばでどうも不具合を感じるのですなあ。

あれほどぱんぱんに入れたのにどうもタイヤがべこっているような。


いったん停まっておそるおそるタイヤを押してみますれば、何ともゆるいという。

「こりゃあ、パンクでもしておろうか」と思いつつも、とりあえず激しい段差を避けながら目的地へ。


用足しの最中に気が気でなかったのは、

帰る段になって完全に空気が抜けていたどうするかということ。

自転車を押して7Km歩くのも楽ではないなと。折しも暑い暑い日だったもので。


いざとなれば近くのカインズホームに持ち込めば修理してもらえるだろうと思うも、
その場で直ちに修理が終わるとも思われず、別に日に取りに来なければならんか…てな
あれこれを思い巡らしているうちに、さあ、帰途に就く段階に。


駐輪場でおそるおそる自転車の前輪を押してみると、
往路段階よりもぶよっと度合いは高まっているものの空気が完全に抜けてしまってはいない。


つうことはパンクではないのだなと見切りを付け、

走りだしてみますと車輪のリムで走っているような感覚で、
カーブを切ろうとするとよろけそうになるといった具合。


 

だましだましの感じで進んではいくものの、このまま7Kmあまりを走り果せるのは難しかろうと。
件のカインズホームはすでに遥か後方に過ぎ去ってしまい、さあてどうするかと考えたわけですね。


 

そこで思いついたのは、そのとき走っていた道というのが

JR青梅線とほぼ平行しているものですから、
駅の駐輪場で空気入れを借りることができるのでは…ということ。


 

途中駅ひとつめの駐輪場はどうやら無人、
ふたつめの駅ではそもそも駐輪場が(反対側の出口なのか見当たらない)、
そして迎えたみっつめの駅の駐輪場には…係の人がいるではないか。
地獄で仏とはこのことか!とは大げさですが。


 

一応、こちらはその駐輪場の利用者でも何でもないただの通りすがりなだけに
「通りすがりで誠に申し訳ないところながら、空気入れを借用したい」と
礼を尽くして申し入れるや、即座に空気入れを持ってきてくれたのですな。
ありがたや、ありがたや。


 

早速に「これでもくゎ!」というほどに空気を入れてひと安心と思う間もなく、
立ちどころに空気が漏れていく音がはっきりと聞こえてきたのですなあ。
タイヤと同様にこちらまで脱力していく感じでありましたよ。


 

そこで係のおじさん曰く「こりゃあ、虫ゴムだな」とつぶやくと、
詰所に戻って小引き出しをがちゃがちゃとしておりますが、
虫ゴムを見つけ出して古いのと交換し、「ほおら、直った」と満面の笑み。
やっぱり地獄で仏でありましたよ。


 

…と、かようなことを長々と書いてきましたのは、
こういう何気ない、なんつうことのない人助けといいますか、
(助けてもらった側がこういうのもなんですが)
こうした場面ってすごく少なくなって来ているような気がしたものですから。


 

おそらくはどこかで「お互いさま」というところがあって、
(もちろんお互いとして自分の側にいつ利するかなんつうことを考えてはおらず)
自然なこととして人助けをするわけですが、この「お互いさま」の意識、
引いては他の人への「思いやり」といった意識が薄れている世の中になってはいないかと。


 

混んでいる電車の中で、スマホの画面を眺めやすい自分の立ち位置を決めると、
その後どんな乗り降りがあっても梃子でも動かんぞという体の御仁は山ほどいますし、
ちょうど今頃の時期に「傘傾げ」をする気配すら見せない人もまた。


 

2020年東京オリンピックに向けて「おもてなし」という言葉が多用されたりしますけれど、
「思いやり」の薄れが感じられる中で「おもてなし」などと聞かされると、
多分に裏側にあるのは商売っ気なのね…と思えて来たり。


 

それぞれが素朴なレベルで「思いやり」を持っておれば、それも思いやることばかりの人と

思いやることも思いやられることも全く意識しない人とがいるのでなくして、
それこそお互いに思いやりをもっておれば、世の中のあちこちにあるぎすぎすしたものが
変わっていくのではなかろうかと思ったりしたのでありますよ。