ということで関内駅からぶらりとし始め、北側の角から横浜公園へと入り込みました。
と、まだまだ大して歩いているわけではありませんですが(笑)。
ところで、さすがに港町・横浜らしい遊具があるものですな。
ちなみに正面の木立の奥には横浜スタジアムがどぉんとあります。
そんなこともあって、この公園の脇は何度も通ったことがありながら、
てっきり横浜スタジアムに隣接する緑地くらいにしか思っておりませなんだ。
ところが、そもそも横浜公園があって、そこに横浜スタジアムがあるとの位置づけらしい。
昭和4年(1929年)3月の日付が刻まれた石碑には
「横濱公園は明治九年を以て創設せる我国最古の公園なり」とありましたし。
今では公園なぞそこここにあるものと思ってしまいますが、
日本に「公園」なるものは明治9年(1876年)まで無かったわけで、
公園もまた文明開化のひとつでもあったのでしょう。
ですが別の解説板からは、そもそもこの場所は遊郭の跡地利用であること、そして
外国人と日本人の居留地を隔てる防火道路(現在の日本大通り)とともに作られたことが知れ、
これはこれで大いに時代を感じさせるものでもあろうかと。
ただ、横浜公園自体は外国人も日本人も共用で使えたのだそうで、
当時は「彼我公園」と呼ばれたのだそうでありますよ。
でもって、公園を設計したのがこのリチャード・ヘンリー・ブラントンという英国人土木技師。
まあ、それまで日本には公園なるものが無かったわけですから、むべなるかなです。
ちなみにこのブラントンなる人物ですが、政府のお雇い外国人として1868年に来日、
横浜居留地の測量に携わった後、横浜公園や日本大通りの設計・施工ほか
横浜の近代化に力を尽くしたほか、日本各地26カ所の灯台を設計したこともでも知られると。
しばらく前に見た犬吠埼灯台 もブラントンの設計なのですな。
ただ、ブラントンが設計したときから「彼我公園」という呼ばれを意識して
元より設置してあったのかは分かりませんけれど、日本庭園もあるのですよね。
薄曇りの中、池ではカメがゆうゆうと泳いでおりましたですよ。
見えている灯篭は米国オレゴン州ポートランドの日本庭園にある雪見灯篭の複製。
なんでも1954年頃から、当時の横浜市長が「友好と平和の灯を点ずる」として
世界各地に寄贈したもののひとつなのだそうです。
2017年にこの庭園を(外国人と日本人との友好の意を込めて)「彼我庭園」と定めた折、
ポートランドからレプリカが里帰りしたのだとか。
今、新たに「彼我」の名がよみがえったのですなあ。
日本への外国人観光客はいつの間にやら相当に増えておりますが、
大型客船も寄港する横浜にあってはどこの国の人もが彼我公園で憩うひとときというのは
日常として想像できることなのでもありましょうね。