今シーズンはこれまでとんと見に行けずじまいであったMETライブをようやっと。

演目はロッシーニの「セミラーミデ」でありました。


メトロポリタン歌劇場ではわりとよくロッシーニを取り上げるなと

(METライブの演目の並びを見て)思うところですけれど、

この「セミラーミデ」はさほどにお目にかかれるものではないようで。

なかなか歌手が揃わないということらしく。


確かにもソプラノのコロラトゥーラ、テノールのハイノートのみならず、

主要な配役に振られた歌の数々はこれでもかというほどに技巧的で大変そう。

すげえなあと思う一方、物語をたどる上では装飾過剰かも…と思ったりするところでありました。

(このへん、オペラの鑑賞方法にもかかわるのでしょうけれど)


で、その物語ですけれど、いやあ、こりゃ「韓流ドラマ」か?と思ったり。

言ってしまえばそれまでであろうことを、その場で口をつぐんだばっかりに

勘違いが勘違いを読んで、誤解が渦巻く。

果てはまったく思惑のすれ違った二人が同じ歌詞の二重唱を

それぞれの思いが叶うとばかり高らかに歌い上げてしまうのですものね。


こうした書き方をしてしまいますと、シェイクスピアのタイトルではありませんが

「間違いの喜劇」かとも思われるところながら、これはオペラ・セリア。

至ってまじめな?古代バビロニアを舞台にした王位継承にまつわる悲劇なのですなあ。


ところで唐突ながらキリスト教社会たるヨーロッパで、

古代バビロニアの神々(唯一神でもない)を賛美するかのような歌唱を含む作品が

OKになったのはいつ頃からかなあと。

もちろん、この作品がそうしたことに挑んだ最初の作品ではありませんけれどね。


やっぱりルネサンスでギリシア・ローマ世界に改めて目を向けて以降でしょうかね。

絵画でも神話画はステイタスの高い方とされていますけれど、

この神話はもっぱらギリシア・ローマ神話であって多神教の世界を描いているわけで、

キリスト教とはあまり相性良くなさそうですものね。

ルネサンスはキリスト教を乗り越えた…てなことでもありましょうか。