両親のところでPCの音が出ないのに対処したと言いましたですが、
音が出るようになって早速に数々の演歌をお試し的に流すことになったのですな。
そのときのことでありますよ。
昔の歌っていうのは、背景を知らないとなんのことやら?なのだなあと。
逆に、その昔の歌をリアルタイムで聴いていた人たちは背景に対する素養があったのだなとも。
その背景たるもののひとつが歌舞伎でしょうか。
はたまた歌舞伎そのものではなくても、その物語を扱った講談や浪曲を通じてでしょうか、
当時の人には一般教養?的なものでもあったと言えましょうか。
例えば春日八郎の歌った「お富さん」。
歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の話を知らないと、
やおら「生きていたとはお釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん」ってなんのこと?ですものね。
田端義夫の「大利根月夜」にしても「腕は自慢の千葉仕込み」と出てきますけれど、
これが「天保水滸伝」に出てくる平手造酒(ひらてみき)を主人公にした歌で
平手は北辰一刀流千葉道場で腕を磨いたことを知らないと、
「千葉仕込み」とは味噌か醤油かなんつうふうに思ってしまうところかと。
もっとも昨今の歌でもリアルタイム現代の言葉などに敏感でないと
理解しがたいところがあるのは同じことなのかもしれませんけれど…。