先に見た展望台のある新潟日報メディアシップのビルへと向かう途中、
ちょいと立ち寄ったのが一昨年に初めて覗いた敦井美術館 でありました。
新潟駅からメディアシップまで歩ける距離ではありますが、
雪に巻かれながらだといささかへこむところもこれあり、
途中というには駅寄りに過ぎるものの、まずはこの美術館でひと息付いたと言う次第。
「京都画壇の精華」と銘打った展覧会を開催中でして、
まだまだ日本画に疎い者としては「こういう系譜、こういう広がりだったのだねえ」と
冒頭の展示解説にあった師匠弟子の関係図を見て思いましたですよ。
その中で大きく枝葉を広げる元として、根っこの位置にあると思われるのが竹内栖鳳。
先日、小林清親の「猫と提灯」を取り上げた「美の巨人たち」で、
猫繋がりから竹内栖鳳の「斑猫」が紹介されてましたが写実の極みのような作品ですね。
と、そこまでの驚きに満ちたものではないながら、まずはその竹内作品が4点ほど。
その後には弟子筋の作品が連なっていきますが、「この人も、この人も、この人も…」てなふうに
名前だけなら知っているという人を含めればなかなかに綺羅星状態でもありますなあ。
そうした中で目を留めたひとりが土田麦僊でして、フライヤーにも使われている「富嶽図」は
チラ見背せ状態の富士がなんともたおやかで全体におおらかさが漂っている。
野道を行くのは富士講の人たちが、ほの見えた富士の頂に顔を上げて
「ほお~、でっかいのぉ」とか言い交しているようではないでしょうか。
山頂部の山肌がまた微妙にいい色でもありまして。
もうひとりは村上華岳でありますね。
この展覧会自体が華岳の生誕130年記念とされながら特別扱いはされてないようですが、
それはともかくとして、これまたフライヤーに使われた「拈華観音」には
華岳作品で最も知られた「裸婦像」を思わせる線の流れがありますね。
「裸婦像」は裸婦を描いて菩薩のようと言われましたけれど、
こちらはこちらで観音様を描いて女性像のようとも思えてしまう。
曲線というよりは流線で描かれた柔らかさの故でもあろうかと思いところです。
こうした作品に並んで、やはり京都画壇の系譜に連なる上村松園、入江波光、
そして福田平八郎や徳岡神泉らの作品を見て行ったわけですが、
改めて日本画の余白の妙、背景の無いことに不思議と違和感を感じないといったことに
気付かされたのでありますよ。
上は福田平八郎の「縞茅桔梗」、下が徳岡神泉の「菖蒲」です。
いずれも「これだけ?」という気がしないでもないところが、これ以上要らないとも。
そんなでありながらもデザイン性の高さがあるなあと思えるあたり、
遠く琳派の存在に思いを馳せたりもしてしまうところでして。
ということで、元来小粒な美術館ではあるも誰も他にいない展示室で
好きなように作品と向き合える時間というのは、実にいいものでありましたことよ。うむ。