ということで、山梨に行ってまいりました。
東京も西郊に住まっておりますと、普通列車ですっと行けるものですから。
と、そんな普通列車の中でふと耳にとまった言葉がありました。
出がけに「大丈夫」という言葉 をうんぬんかんぬんしていたからでもありましょうかね。
その言葉といいますのが「よしわるし」なのでありますよ。
漢字で「善し悪し」あるいは「良し悪し」と書かれていた場合に
自分としては迷うことなく「よしあし」と読んでおりましたので、
今に始まったことでなく「よしわるし」という読みが聞こえてくると
何とも心地悪さを感じたものなのでありました。
その「よしわるし」が電車の中での会話でちらりと耳に入ったわけですが、
「よしあし、なのではないかい?」と語られた会話の一節を
心の中で「よしあし」に置き換えてみますと、微妙に据わりが悪いのですなあ。
これはまた「今さらながらのもしかしてかも…」と思い直し、帰宅後に検索してみたという。
そうしますと、結論から言えば「よしあし」と「よしわるし」には意味合いの違いがあるようで、
従って使われ方もまた異なってくるようであるのですな。
その違いはむしろ古語辞典に頼るべきのようであって、
「あし」と「わろし」で理解をされるところでもあるそうな。
つまり「あし」は「わるい」、「わろし」は「よくない」の意であるようで。
例文として「ことのよしあしの判別がつかない」というときには「よしわろし」は使わない。
「善悪」の絶対的な対比が意味合いとして示されているからですね。
これに対して「(時に応じて)いいこともあればよくないこともあるよねえ」というニュアンスでは
「よしわるし」を使うのだと整理したらよいようでありますよ。
ただ、後者の例として「都会住まいにもいいところもあればよくないところもあるよ」の意で
「都会住まいもよしわるしだ」と使えることになるのだと思いますけれど、
個人的にはこのケースでも「都会住まいもよしあしだ」と使うでしょうなあ。
とはいえ、旅路のさなかにひとつ勉強して帰ってきましたですよ。
