さてオステンド とシント・イデスバルト を巡った一日の翌朝は晴れで迎えたブルッヘの朝。
だもんですから、遅まきながらブルッヘ観光で誰もが目指すGrote Markt(マルクト広場)へと
向かったのでありました。
地図で見て最短の大通りを抜けていくのが最も安心なルートにはなりますが、
それではあまりにも面白くない。そこで、こんな路地を抜けてみたりもするわけです。
実を申せば真正面に見える2階の窓は、ブルッヘ滞在中の我が宿、我が部屋でありまして。
ですから、夜のこの通りを部屋の窓からは何度も眺めたですが、
途中の街灯がぽつんと点るだけであとは真っ暗(思いのほか、ブルッヘは星がよく見える)、
人通りというのもおよそ見なかったりしますと、ついついローデンバックの「死都ブリュージュ」を
思い浮かべたりしたのでありますよ。
ですが、明るい光の中でならその雰囲気も変わるものの、
観光客が通りそうもない通りには本当に人がいませんなあ。
それでも、町自体が美術館てなふうにも言われるブルッヘの町は古い建物がそこここに。
と、ここで豊後高田を引き合いに出すのもいかがなものか…ではありますが、
やはりあるところで時を止めた(ということは、取り残された)からこその風景ではありましょうね。まあ、古い建物を居抜きで使って駐輪場にまでしてしまうのは努力も必要でしょうけれど。
と、大雑把な外観はそんなふうだとして、歩きながら思うところは
フランデレンはオランダでなくしてベルギーであることの再確認と言いますか。
言葉は断然オランダに近いのに、違うところは宗教ですね。
基本的にオランダはプロテスタント、ベルギーはカトリックでしょうから。
街角のそこここに出くわすこうした彫像は
カトリック信仰と関わる歴史を見る思いがするのでありますよ。
そんなことを思いつつ、あっちへ曲がりこっちへ曲がりしているうちに
ブルッヘはさして大きくない町ですから、マルクト広場に到着してしまいました。
さすがに観光名所なだけあって、馬車がたくさん居並んでおりますな。
もっとも時間が早いので閑古鳥状態ではありますが。
とはいえ、朝はすっかり明け切って良いお天気になってきました。
マルクト広場の中央に鎮座まします像も、ほれこのとおり。
像に仕立てられた二人の人物はヤン・ブレーデルとピーテル・デ・コーニンク。
フランスの圧力に対抗して立ち上がった市民蜂起の代表であった二人だそうで。
ヤンは肉屋、ピーテルは織物工であったといいますから、市民の自治の町らしいではありませんか。
ということでこの日のブルッヘの見て歩きは、ここマルクト広場から始まるのでありました。