ということで、「昭和ロマン蔵 」のみならず町ぐるみで昭和テーマパークを標榜する

豊後高田の町をふらりふらりと歩いてみたのでありました。


豊後高田新町通り商店街


通りを跨いで「商店街」をアピールする看板。これは同じく街並みを保存するといっても

日田の豆田町のような歴史を閉じ込める努力をしているところとは違って、

昭和のあるときから時代の流れとは別のゆるい流れの中にとどまった場所というべきかも。


もちろん今となっては、100年以上も前の建物ということではなくても

そのままにしておくには全く努力がいらないということにはなりませんが、

変貌を遂げられなかったという哀しさも滲んで、それがまたノスタルジーを

呼び覚ましたりするのかもしれません。


ですから、商店街に並ぶお店によって

はっきり観光客を意識した店づくりをしているところもあれば、

昔ながらに地元の商店としてある(がために、特に目立つことはしていない)ところもある。


結局のところ、豊後高田が「昭和の町」を打ち出したのは「地元」の商店街というだけでは

成り立ちがたく観光客を呼び寄せることに活路を見出したということでしょうから、

そう考えた場合に観光客としては、それらしい商店街があってなんとなく店の並びが

歯抜けの感覚であると「なんだかな…」という感覚があっても仕方のないところのような。


これは豊後高田の町に「そんなんで、昭和の町だなんて!」と

いきり立ってもの申しているのではなくして、折々触れてもいますように

そもそも地元の商店街が立ち行かなくなってしまうのを忸怩に思うところがあるからでして。


昭和座・豊後高田


これはそんな商店街の外れで見かけた、いかにもかつて映画館であったろう建物です。

今ではもちろん映画館として成り立っているわけではないものと思いますが、

そういう建物故に「昭和座」なる看板を掲げて映画の宣伝看板も付けてあるところが、

反って哀しいというか何というか…。


あれこれとつらつら考えながら歩き周って、

いよいよ空港へと向かうバスを待ち受けるべくバスターミナルへと向かってみれば、

これがまた使っていない部分は掃除もされずに打捨てられた観のある建物だったり。

本当にここで待っていて空港行きのバスが来るのか…と心配にもなるところでありました。


豊後高田バスターミナル


ところで、このバス乗り場のようすを見て、何とはなし「ここは駅だったんでないの?」と。

左側の微妙な空き地にはいかにも線路が敷いてあったふうではありませんか。


後から知ったところによりますれば、

やはりここは大分交通宇佐参宮線の豊後高田駅であったようす。

豊後高田からJR日豊本線の宇佐駅を経由して宇佐八幡駅に至るこの鉄道は

JRの通っていない豊後高田の大きな足であったことでありましょうね。


それが1965年に廃止。昭和でいえば40年です。

一概には言えませんけれど、豊後高田は以来、時を止めないまでも

他とは違った、ゆっくりとした時の流れの中を歩んできたのかもしれません。


先の心配をよそにほぼ時間通りにやってきた空港バスに乗り込んで、

車中で過ごすこと、1時間ほど。大分空港に到着したときには小さな地方空港ながらも

つかの間のタイムトラベルから戻ってきた気がしたものでありますよ。

そして、さらにそこから1時間半あまり、一気に東京の喧騒の中に戻って、

大分の旅は終焉したのでありました。


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