「築地ワンダーランド」という映画を見たのでありますよ。
築地にある魚市場で働く人たちを記録している映画です。
ともすると、築地市場の移転に賛成なのか、反対なのか…みたいなところで
この映画は受け止められそうな気配がありますが、実際に見てみれば実にドライな気がします。
築地で培われた卸、仲卸、小売店(料理屋も)との独特な関係は「だから築地じゃなくちゃ」とも
思ってしまいそうなところながら、伝統として受け継がれるべきはそうした業者の関係であって、
それが長年場所を提供してきた築地には馴染みがあり、地の利がありとはいえるとしても
「築地(という場所)でなくてはならない」と言い切ることにはならないわけでして。
だからといって、「移転すべきである」となるわけでもない。ましてや豊洲にとは。
築地から移転する、しないということと、移転するとして豊洲でいいのかどうかは
切り離して考えないといけないですよね。
豊洲という場所が一般に与える不安、不審がある以上は。
と、この点に深入りするとそれだけで長くなってしまいますのでちと話を変えますが、
これまでは流通のプロセスをより単純化する(間での介在を減らす)と、結果的に
消費者の手元には商品が安く届くような気がしていました(世間知らずかもしれませんが)。
確かに中間コストが不要となる(軽減される)分、安いとはいえましょうけれど、
取り分け農産物、水産物のような品物はひとつとして同じものはないとなれば、
その安さと「質」の関係はどうなっているのかが気になってくるわけです。
もちろん安さこそが選択ポイントなのであれば、
質などの点には目を向けないと割り切ることになりますが、
安ければ「安かろう悪かろうでも構わない」とはなかなかならないような。
そうした点で、流通機構の中で築地の「仲卸」は
中間コストにあたって値段の上がる要因になるようにも言えてしまうわけですけれど、
この「仲卸」による「目利き」という役割というのがいわゆる「築地ブランド」の
看板のひとつとなっているのですなあ。
そうしたことを考えるにつけ、映画の中で某料理評論家が言っていましたように
築地はナンバーワンではなくてオンリーワン、世界のどこにもこんなところはないと
なるのでありましょう。
ですが、間違えてはいけないのは確かに築地で培われた伝統ではあるものの、
築地という場所でなくてはならないことかどうかは別問題ということはありましょう。
だからといって豊洲に移転してよいとは全く考えてはいないことは言わでもがなですが…。
