日田観光のメインは豆田町界隈にありとは知りつつも、

この日の街歩きは暑さで脚を伸ばせずに日田温泉の近辺に終始したわけですが、

「近辺でどこか?」という問いかけに宿の方が「山鉾会館とか…」と言っておったのをそのままに

押し花美術館 の角を曲がっていけば到着するという日田祇園山鉾会館を訪ねたのでありました。


先に日本のあちこちのお祭りの「山・鉾・屋台行事」が世界文化遺産に登録されましたけれど、

日田祇園祭の山鉾がそのひとつであるとは知りませなんだ。

7月始めの豪雨で被害を受けた日田ですけれど、

例年どおりに7月下旬、町中を練り歩いたそうでありますよ。


ところで、世界遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」には

全国各地から33件がピックアップされているそうで、

おそらくは選外の憂き目を見た類似の行事を行っている地域もありましょうね。


世界遺産に登録されたものもそうでないものの含めて、

残念ながらこの類いのお祭りは実際に目にしたがないので、

他と比較することは本来かなわぬところながら、この山鉾会館で実物を見たところでは

「でかいなあ」と同時に「妙に不安定だな…」ということ。他の地域のもそうなのかしらんと。


日田祇園祭の山鉾


大きいことはある程度想像していたですが、

飾りが上の方でも左右不均等に張り出していたりするのには

どうにも不安定な印象があったものですから。


そこにただ置いてある分には何つうこともないでしょうけれど、

これを街なかで引っ張り回すわけですよね。

急カーブを曲がったり、下り坂を駆け下りたりてなことはコースに含まれていないのかも。


江戸時代からの伝統行事として行われているものと言いますから、

山鉾を引き回す熟練の技は世代から世代へと受け継がれて、

傍目の心配は御無用ということなのかもしれませんですが。


ところで、山鉾の飾りつけ部分がどんなものであるかは

地域によって異なるものと思われますが、日田の場合には

昔の軍記物語や歌舞伎などに題材をとって一場面を仕立てあげるもののようですな。


上の写真では「大物ノ浦」と書かれてあるように、ご存じ「義経千本桜」から。

平知盛が大碇をまさに海中に投ぜんとしているドラマチックな場面がクローズアップされています。


壇ノ浦の戦い 八艘飛びの場


こちらもまた源平合戦で、壇ノ浦の戦いから義経八艘飛びの場面。

義経の姿はもはや山鉾から飛び出しておるわけで、

「おお!」とも思い、やはり不安定だとも(笑)。


とまあ、このように「ほお」と思った山鉾会館見物でしたですが、

宿の方がも一つご教示くださったのが山鉾会館のお向かいにある八坂神社なのですな。

(祇園祭りと八坂神社、いずれも京都ゆかりでありましょうか)


で、宿の方ご案内の…と言いますのは、この神社自体というよりも境内にある松の木。

「叢雲(むらくも)の松」とも呼ばれる老松だそうで、樹齢は300年以上とも。


ですが、杉やヒノキの大木のようにすっくと立ち上っているのではなくして、

その名のとおり、叢雲のようにたなびいている印象です。

これが一本の木なのですから。


日田八坂神社 叢雲の松


で高さとしては最高所で3mほどとさほどではないながら、

東西に枝分かれした部分は東側は20m余り、西側には15m余りも伸びているだそうな。


祇園山鉾会館では見上げる高さに首を上下して「ほお~」と思い、

お向かいの八坂神社では首を左右に動かして「ほお~」と思うという体験なのでありました。


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