白馬岳の山頂を覆い隠していた厚い雲は一夜明けるときれいに晴れて…とはなりませなんだ。

宿の窓から見て、こんな具合であったのですから。



あ白馬村を訪ねる観光客にとっては、
スキー場のゴンドラを利用して高所に登り、

高山植物を愛でながらの散歩なんつうのがお楽しみのひとつであって、

個人的にはトレッキングに心ひかれるところではあるものの、老親を伴ってはそうもいかず。


スカッと晴れてさえいれば眺望目当てでゴンドラに揺られるのも妙策なのですが、

こうも山頂が雲に巻かれていてはいかんともしがたい…と潔く見切りをつけた次第。


結果として「白馬に行ったのに?」という展開がこの後に控えるわけですが、

二日目にまず立ち寄ったのは、大糸線・信濃森上駅のしばらく先を

東側の山に分け入った山中にある青鬼(あおに)集落でありました。


白馬村青鬼集落


山の中に忽然と現われた集落…といった印象でして、

ここが青鬼集落と呼ばれているなればやはり由来が気になるところでありますなあ。

どうやらこんな言い伝えがあるというのですね。


そも山向こうの鬼無里 村には天武天皇の遷都構想を邪魔する鬼が住まっていたですが、

鬼無里村の伝承では阿倍比羅夫に退治されたことになっているこの鬼は

青鬼集落の北方にある岩戸山にある大穴に封じ込められたのだとか。


ところが、やがて同じような鬼が東方の戸隠の方に現われるようになったものの、

悪さをするどころか善行を施すようになっていたそうな。


おそらくは岩戸山の大穴は戸隠山の方へと通じており、

その穴を抜けていくうちに悪鬼から善鬼へと変わったに違いないと受け止めたそうなのですね。

青鬼集落でも、以来これを「お善鬼様」と呼んで青鬼神社に祀ったという。

「青鬼」という呼び名はそうした伝承を受けてのことなのでありましょう。


考えるに大穴の通り抜けはいわば「胎内くぐり」のようなもので、

そこを通過することによって邪気や穢れがはらわれて人が(鬼が?)変わった…

てなことなのかもしれません。


ところで、やおらかような山間の集落に立ち寄った理由を申しておりませんでした。

実はこの集落は先に見た屋根の立ち並ぶようすから想像されるように

「重要伝統的建造物保存地区」に選定されているのみならず、

農林水産省が認定した「日本の棚田百選」のひとつとなっているものですから、

「どれどれ…」と見に来たような次第でありまして。



この方角に眺望がよろしいとはいうものの、

棚田らしさが今一つですので、ちょいと角度を変えて。




しかしまあ、棚田に豊かな実りがあるのは素晴らしいことながら、

見る側としてみればやっぱり田植え前でかつ田に水が入れられてある状態が

あたかも景色を写す鏡がそこここに広がっているようで、いいのではないでしょうか。


とそんな、山里を散策しておったわけですが、

標高700mを超えるところながら(長野駅前ほどではないせよ)暑い日だったのですな。

そこでこんなのを見ると、のどの渇きを癒したくなるわけでありますよ。


雪どけサイダー直売所@青鬼集落


看板には「直売所 雪どけサイダーあります」と。

建物の周りを取り囲むようにサイダー瓶が並べてありました。


店の中には店番のおじいさんがおひとり。なんでも大正生まれだそうですが、矍鑠たるもの。

曰く「人間も動物だから歩かにゃ。東京の人もこういうところへ来て、歩くのがいいですよ」と。

ご自身は生まれも育ちも青鬼で、子供の頃には毎日白馬村の学校まで歩いて通ったとなれば、

筋金入り。子供にとって山道の登り下りは難儀であったろうなあと。毎日ですものねえ。


と、思いがけずもサイダーの癒しとおじいさんの喝!を得て、

青鬼集落をあとにしたのでありました。


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