近所の図書館でたまたま目が留まった一冊。

「額縁と名画 絵画ファンのための額縁鑑賞入門」となんだか「美の壺」のようなタイトルですが、

本として立派な装丁ながら中身は結構コンパクトな感じでこの点でもかの番組を思い出させるといいますか。


元来はロンドンのナショナルギャラリーで出しているガイド用パンフレットのようでありまして、

著者はもちろんナショナルギャラリーのキュレーターということでありますよ。


額縁と名画―絵画ファンのための額縁鑑賞入門/ニコラス ペニー


絵画が額縁にはめ込まれてある状況。

そのこと自体は美術館で絵を見る場合に当たり前過ぎて気にも留めない。

さらに言えば、飾り気たっぷりなのやそっけないもの、額縁にもいろいろあることは目の端にとまっても、

額縁そのものを気に留めることはやっぱりない。


まあ、絵と向き合うだけで精一杯というところもありますけれど、

美術館ではなしにプライベート・コレクションを集めた人が住まっていた室内の装飾や調度をそのままに

絵画もまたそうしたものの一分として壁を飾っているような場合には、額縁もまた装飾であり調度であり

ということになりましょうね。


そして、王侯貴族やら富豪やらの邸宅で鑑賞するというときには

どうしたって贅を凝らした室内のあれやこれやに目をやるように額縁もその対象たるべきと

今さらながらに思ったりするのでありました。


どうやら想像するに(というのは、そのままはっきり本書にあったようではないことを書きますので)

額縁のそもそもは宗教画にあるようですな。


だいたいヨーロッパの絵画の歴史ではキリスト教が題材としてとても重要であることは言わでもがな。

で、その宗教画というのは、教会の壁などに直接描かれてきましたですね。

そんなフレスコ画を何となく思い出してもらいますと、描かれた聖母子や聖人はだいたいにして

飾りのついた枠の中にいるのですよね。


この飾りのついた枠は、やがて持ち運び可能な祭壇画を制作するような場合に

飾りの要素を失わないままに絵の本体を傷つけないような補強枠としての意味合いも持つようになる。

ここまでくれば後のいわゆる「額縁」に擬えることは容易でありましょう。


ですが、宗教画の縁取りとして装飾性豊かであることが

描かれた聖人たちへの尊崇の念の表現であったところからはだんだんと離れてもいったのでしょう。

なぜならばとはいうまでもなく、額縁で飾るのは宗教画ばかりではないのですから。


そして、ともすると絵画の画題に対して不釣合いにもなろうかという装飾過多の額縁もあり、

これなどは先にも触れた王侯貴族や富豪のコレクションとしてその邸宅を飾る際に

立派な家具調度を誇るのと同じ考え方で室内にマッチするような額縁が選ばれることにも

なっていったことでありましょうね。


そう考えてみれば額縁は工芸品ということもできるわけで、

額縁そのものを愛でるという鑑賞行為があってもいいのでしょう。

ただ、惜しむらくは(という言い方が適当かどうかですが)絵をはめ込んでいない額縁単体が

愛でられる対象として十分なものであるかどうか…。


もちろん対象足り得るという方もおいででしょうけれど、個人的にはそうは思えないなあと。

絵と組み合わせていない額縁はそれこそ「コーヒーなしのクリープ」みたいなものに思えるわけでして。

単体として素晴らしい額縁もあるでしょうけれど、絵と組み合わせて、しかもその組み合わせが

マリアージュのような効果を生み出してこそ額縁が威力を発揮していることになるのでしょうから。


と、ここにたどりつきますと、また元に戻ってしまいますけれど、

額縁自体が主張することなく中におさめらえた絵の見栄えなりを増幅していることが

額縁の本懐のようにも思える。


となれば、やぱり額縁に目が留まらないまでも素晴らしい絵画作品にめぐり合ったなと鑑賞者が思ったとき、

そこには額縁がもたらしたマリアージュの効果が実はなきにしもあらずなのかも。

それを静かににんまりするだけで額縁は満足している。額縁冥利に尽きるな…てなことを考えつつ。

ま、そんなことなのかもなあと思ったりした一冊でありましたよ。




…というところで、ちと今晩はお泊りとなるものですから、明日はお休みとなりまする。

どうぞご容赦を。