10年前、アムステルダムに行った折ですけれど、
「Heineken Experience」というところに立ち寄ったのですね。
ハイネケンは日本でも知られたオランダのビール…などというのもおこがましいくらいに
輸入ビールとしてはバドワイザー同様によおく見かけるビールであろうかと思いますが、
その製造工程をたどったり、はたまたしっかり試飲ができたりという施設でありまして。
街なかにあって実際には工場ではないのでしょうけれど、
あたかもビール工場見学 をしているような気になる施設なのでありますよ。
とまれ、かくも知られたハイネケンのビールとなれば、当然にして大企業。
だからこそでしょう、1983年にはハイネケン社トップの誘拐事件が起きたのだそうで。
「フレディ・ハイネケンの誘拐」、そんな原題で実話をベースに作られた映画が
日本では「ハイネケン誘拐の代償」というタイトルになっていたですが、
このほど見てみたという次第でございます。
若者の友人どうしで何らか起こした事業はうまくいかず、銀行に融資を求めるも叶わず。
そんな行き詰まりを打破するために思いついたのが、大富豪の誘拐なのですね。
このあたり、「そういう方向に考えてしまいのはまずいだろうよ」とは思うところながら、
よく聞く「不正のトライアングル」の一角をなす、自己(の不正)を正当化できるかどうかという点で
「自分たちに今は運がないが、いずれはそうでなくなる。金はいっとき借りるだけ」といった
自己肯定に納得できてしまうような状況であったということでしょうか。
その点で犯罪であるという意識がかなり薄く、計画を練る段階などは
いわば子供たちが集まって秘密基地ごっこ(誰にも見つかってはいけん)をするような
感覚でもあったように思われるわけです。
ですから、誘拐は大規模なプロ集団が行ったように見せかけることで、
思いつきの素人である自分たちは追及を免れようと計画するわけですが、
そのためには周到な準備と資金が必要だと、まずもって銀行強盗を決行することになる。
すでにして銀行強盗自体が大した犯罪であるものの、そのことにはもはや思い至らないのですな。
ただゲーム感覚の犯罪ながら、最後の一線だけは越えないものとして、
マシンガンなどで重武装しながらただのひとりの死傷者も出さないで
銀行強盗をやりとげるのでありました。
そうした臨んだ誘拐ですが、何もかもがとんとん拍子にはいかないわけで、
身代金の受け渡し交渉が停滞し、人質とどう相対するかで仲間割れが始まるのですね。
舐められてはなるものもならないのだから、人質をいたぶるさまを相手方に見せるべきと
強硬策を狭る者がいる反面、自分たちはそうしたことまでするつもりはなかったではないかと
疑義を呈する者も出る。
そんな犯人側をしり目に俄然存在感を増すのが捕われている側のフレディ・ハイネケン。
これをアンソニー・ホプキンスが演じているとなれば、ハンニバル・レクターを思い出しても
不思議ではないところかと。
そして、そのフレディ・ハイネケンが犯人グループに言ってきかせるのが、
「裕福」には2種類あるのだということ。
莫大な金を持つのか、たくさんの友人を持つのか、いずれも「裕福」と言えることながら、
両方はあり得ないのだというのですね。
単に正論を言っていると言えないでもないですが、
すでに関係がぎくしゃくしている犯人グループの心理を見透かすようなひとことでもあり、
そのじわじわ感がまたハンニバル・レクターなのでもあろうかと思うところです。
ここまで語れば、邦題が「ハイネケン 誘拐の代償」とされた意図にもピンとくるのでは。
むしろ話を先読みさせてしまうタイトルの付け方とも言えましょうけれど。
もうひと息の深みを出していたなら、映画の存在感は一層高まったと思いますが、
それでも視点が独特な映画だなとは思いましたですよ。
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