「いやあ、いい話なだあ」となかなかストレートに思うことはないんですが、
これはいいという一冊に偶然出くわしたような次第でありまして。
「よこまち余話」と題して、木内昇が紡ぎ出した連作短編集でありました。
だいたいからして作者は木内昇と書いて「きうちのぼり」と読み、女性であったとはつゆ知らず。
いかに偶然出くわした本であったか想像されるところであろうかと。
単純に男性作家の手になるものと思い込んで読み始めましたけれど、
読んでいるうちに「おやあ…」と感じられて来、調べてみればとんだ思い違いだったような次第。
話としては長屋話でして…と言っても時はすでに明治を迎えているようす。
はっきりと年代が示されるわけではありませんが、風俗には江戸をひきずりながらも、
長屋の子供は学校に通っており、縫い物仕事をしているお針子さんのところへは
人絹の糸がもちこまれたりするのですから。
この江戸から明治への移り際という背景も大事なのでしょうね。
江戸は古く、明治は新しい。世の中の移り変わりが急速なだけにそうも見えましょうけれど、
どっこい庶民の中にはまだまだ江戸期の心性、習俗が濃厚に残されている。
だからこそ、舞台となっている裏長屋に妖しの影が横溢しても不思議などころか、
情感として受け止められるのではなかろうかと。
もしかすると「妖しの影」というだけでもネタバレの誹りを免れないのかもしれませんけれど、
まあ謎解きが主の話ではありませんので、ご容赦を。
どんどんと風景が変わっていく江戸ならぬ東京にあって、
置き去りにされたままのような裏長屋とそのあたりには
昔から庶民が信じてきた素朴な信仰のあれこれも居心地よく残っているのだなと思ったり。
時折、ごろりとなって少々の頁を繰ってみては余韻に浸る…
そんな楽しみ方をしたい話だねえと思う「よこまち余話」なのでありました。

