武蔵野美術大学 を覗いたのなら、

民俗資料室ギャラリー だけで帰ってしまう手はありませんですなあ。

当然にして美術館にも立ち寄らねばと。


「モダンリビングへの夢―産業工芸試験所の活動から」展@武蔵野美術大学美術館

折しも開催中でありましたのは「モダンリビングへの夢―産業工芸試験所の活動から」展。

産業工芸試験所といいますのは「日本の商工省工芸指導所が1952年(昭和27年)に

改称改組して通産省工業技術院下に置かれた国の機関」ということですけれど、

前身が商工省工芸指導所であることを目にして「おお、だるまつながり!」と思ったのですよ。

 

ここでやおら「だるまつながり」と言っても「何のことやら?」ではありましょう。

以前、高崎だるまで有名な少林山達磨寺 を訪ねたことがあるのですけれど、

この達磨寺にはかつてナチス政権を逃れて日本にたどり着いたドイツの建築家、

ブルーノ・タウト が寄寓しておったのですなあ。


日本の自然風土や桂離宮をはじめとする日本の建築に関心を寄せたタウトは

何とか日本で建築家としての腕を振るいたいと考えるのですが、

世界的建築家に巡ってきたのは商工省工芸指導所顧問という役割だったという。


失意を感じつつも日本独自の技術を活かした工芸製作に関わっていき、

やがて招かれた群馬県工芸所にあっては達磨寺に住まって、

日本人技師らとの交流を重ねっていったわけでして、おそらく日本の工芸、工業デザインには

この時の交流は何らかの形で息づいているのではと思うわけでして、

そのあたりが「だるまつながり」と思ってしまった由縁なのでありますよ。


と、前史ばかりが長くなりましたが、タウトも関わったことのある商工省工芸指導所は

戦争を経た後の1952年に改組されて通産省の産業工芸試験所となって活動を続けた…とは

冒頭に引用した展覧会解説の通り。


で、展示された製作物を見ていったわけですが、上のフライヤーでも創造可能でしょうか、

意匠のほどは日本の伝統工芸を思わせるところながら、どうも生活雑貨としては

完全に洋風が意識されているのですよね。スプーンやフォークの類はまだしも、

サラダボウルやチーズボードを普段使いする家庭が1950年代の日本に

どれほどあったのかな?と思ったり。


ところがこれは大きな勘違いでして、試験所で試作を重ねたものは

米国を主に諸外国への輸出用(要するに外貨獲得でしょうか)であったとなればなるほどと。

まあ今となってみれば、むしろ普段使いとしてはしゃれたデザイン(多少のレトロ感もよし)と

受け止められる気もしますですが。


ここでまた、はたと思いついたのが何気なく使った「普段使い」という言葉でありまして、

本来的に「普段使い」の食器などに「美」を見出すというのは「民藝運動 」なのではと。


ですが、運動のその後には「民芸」とはいいながら

作家が芸術家然となり、あるいは芸術家視されるようになって、

とても普段使いとは言えないもっぱら観賞用ということになっていってしまった。

これに対して、この試験所で試作が繰り返されたような製品はまさに普段使いなのですから、

どちらかというとこちらの方にこそ「民藝運動」の本来があるような気がしてしまいますね。


「民芸」の「民」が想像させるフォークロアなイメージとしゃれた工業デザインは

必ずしも結び付きにくいかもしれませんけれど、思想の点では合致しているような気がします。


普段使いの皿でもスプーンでもフォークでも、

何でも「これ、気に入っているんだよね」というのが「My民藝」なのでありましょう。


先に池袋西武で民藝品の展覧会を見たときには

パナソニックが提案している「ふだんプレミアム」を引き合いに出しましたけれど、

改めてやっぱりなと思い至ることになった「モダンリビングの夢」展なのでありました。


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