ふらりと覗いた近所の図書館で「お!」と手にしてみれば、
これが「ふむふむ、さもありなむ」という内容だったのですなあ。
新潮文庫の一冊で「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」でありますよ。
おそらくは今でも変わらないのでしょうか、
学校の音楽室の壁に外国人の肖像画が飾られているという風景。
貼り出すスペースにもよりましょうけれど、だいたいバッハ、ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー…と、そんなあたりが並んでいるのではなかろうかと。
これによってクラシック音楽をあまり聴かない人にも
後々までこれらの作曲家の風貌がイメージできたりしてしまうのではとも思いますが、
よく考えてみるまでもなく、ここに挙げた作曲家たちは皆(ざっくりいって)ドイツ系の人ですね。
ですから、クラシック音楽に馴染みのない人にも「音楽はドイツでしょ!」という刷り込みが
できてくるわけですが、これが実に17~18世紀当時は後進国であったドイツの、
大いなる野望の成果であったという話が本書で語られるのでありますよ。
元来、音楽史というと、バロック以前はさらりとすまされ、
古典派、ロマン派、後期ロマン派という流れはもっぱらドイツを中心に語られて、
ついつい「音楽といえばドイツ」ということが当たりまえのことのように受け止められている。
これはまさに明治維新の薩長史観にも比すべき(?)ドイツ音楽史観。
もっともそれの蔓延にドイツはベートーヴェンという巨人を得て成功させ、
諸外国、取り分けヨーロッパ文化から遠い国々は簡単に信奉することになってしまったようですなあ。
一般に音楽史ではすっとばされることの多い18世紀前半以前に
音楽の一等国はイタリアであって、そのイタリアの作曲家たちが欧州大陸を股に掛けて
大活躍していたことの紹介はあまり見かけることができないだけに、
「ほうほう!」と大変興味深く読んだところでありますよ。
ドイツ糾弾のあまり、その舌鋒には少々げんなりする向きもありましょうけれど、
ドイツ中心であるがために端折られてしまった音楽史を読み直すには刺激ある一冊でありました。
作曲法というテクニカルな面にフォーカスするあまり、聴き手をお留守にしていったその後の音楽に
「わっかんないけど、これが進化形なのだろう。分かりやすいメロディーなど軽い音楽で・・・」なとと
思い込まされていたことに気付くと、さらに気軽に音楽に親しめるような気がしてきますですよ。