なんとかコンパクトに書き上げようという試みは今日も続きます(笑)。
風邪で臥せっていたときにぼんやりとみていたTV録画の番組の話くらいなら
さほど長くはならんであろうという目論見は捨てておらず、
今度はNHK「歴史秘話ヒストリア」で先頃取り上げられていた高松塚古墳のお話を。
高松塚古墳の発見は1972年、
今では誰もがご存知の極彩色壁画が残されていたことから大騒ぎになりましたですね。
ただ個人的には「ほどなく記念切手が発売されることになったくらいのブーム」てなふうに
当時の状況を捉えるお子さまであったのですけれど。
されど子供心にも、この古墳、壁画の発見が「すげえ」と思えていたならば
考古学者、歴史学者への道をまっしぐら!だったかもしれませんけれど、
どうもピンとくることはなく、そのままに経た幾星霜…。
それがつい先日には邪馬台国 の話に触れたりもしましたように、
近年になって俄かに興味の幅が日本史の方にも広がってきておるものですから、
このほどの高松塚古墳の話もまた今さらのように「ほうほう」と思うわけでありまして。
高松塚古墳に関してこれまでに知っていたことといえば、発見されたこと、切手が発行されたこと、
そして発見されて外気に触れたがために(?)壁画の損耗が激しく修復していることくらいかなと。
番組では修復の現在のようすを映して
「だいぶ進んだようだけれど、いやはや大変な作業であるな」と思わせるものでしたですが、
TVとしてはそれで終わるわけにもいかず、デジタル技術によるバーチャル修復を試み、
壁画の謎解きをしようという方向に向かっていったのですな。
そうしたことの結果として、服装の色からどういう位階の人物が描かれておるか、
それぞれの持ち物からどんなものなのかというのが見えてくるようで、それをもとに
そのような人物たちが連なってそれぞれに持ち物をもって臨むのはどんな場面なのか、
さらにはその場面が壁画として墓所に描かれた被葬者は誰であるかと推測していくことに。
どうやら高松塚古墳の被葬者には諸説ありとWikipediaにも示されてますけれど、
番組では「被葬者は忍壁皇子ではないか」というところにたどりつくのですな。
Wikipediaでは忍壁皇子説が一番最初に書かれてありますね。
単なる順序なのか、最有力なのかはわかりませんけれど、とまれ壁画の一行は
大宝律令の完成を寿ぐ一大儀式へと被葬者を導くがごときものであるとして、
葬られているのは律令編纂の立役者である忍壁皇子であろうと。
まあ、決定的というものではないだけに異論はざくざく出て来るのかもしれませんけれど、
こうした想像が巡らせるというあたり、古代史ロマンとも言われる由縁でもありましょうか。
しばらく前に持統天皇 に関わる小説を読んだり、シンポジウムを覗いたりしたときには
「飛鳥にも行かねばなあ」と思ったですが、おそらく外国人観光客も多く立ち寄っていよう飛鳥に
日本人でも行ったことのない者がおるわけでありまして。
ずっとそのうちにと思ってはいるのですけれど…。