先に見た山本五十六 の映画同様、これまた録画しっぱなしになっていたのが映画「人斬り」。
司馬遼太郎の「人斬り以蔵」を原作に橋本忍の脚本で五社英雄が撮った映画でありますよ。


二週間ほど前に明治座で「月形半平太 」の芝居を見たことで、
思い出したのは(そのモデルの一人とも言われる)武市半平太でして、
武市率いる土佐勤王党の配下にあって「人斬り以蔵」と異名を取った岡田以蔵の物語、
機会到来と見てみることにしたわけです。


主人公の以蔵を勝新太郎、武市半平太を仲代達矢 、坂本龍馬を石原裕次郎というキャストに

以蔵と並ぶ人斬りと名を馳せた薩摩の田中新兵衛を何とまあ三島由紀夫が演じているという。


余談を先に言ってしまうと、三島演ずる田中新兵衛は攘夷派急先鋒の公家・姉小路公知を
暗殺したという嫌疑で取調べの最中に割腹して果てるという役どころなのですね。

1969年の映画ですから、翌年には三島由紀夫本人が割腹して自決することを思うと
「うむむ…」と思わざるを得ないと言いますか。


映画では割腹シーンで右サイドから三島をとらえて、
鍛え抜いて本人的にも自慢であったろう三角筋、上腕三頭筋、僧帽筋といった辺りの動きを
細かに捉えているのですが、もしかしたら三島のこだわりがあったのかもと思ったりしますですよ。


ちなみに姉小路公知の暗殺では現場に残された刀が田中新兵衛のものであったことから
田中が捕縛され、取調べの途中で自決した…とは、どうやら史実であるようす。

ですが、当時尊王攘夷を掲げた薩摩の志士が攘夷派の公家を斬って捨てるとは

解しがたいことではなかろうかと。


これを映画では京における尊攘派内の内紛的に、薩摩があまり勢威を揮わぬよう
土佐勤王党の武市が仕組み、田中の刀を使って以蔵に姉小路を斬らせたことになってました。


田中にとっては濡れ衣もいいところなんですが、
自分の刀が使われたことで一切の申し開きをせずに自害して果てたわけで、
これもまた侍ということなのかもしれませんが、これを潔さと見て、
三島はこの映画を伏線として事に及んだのかもしれませんですなあ、もしかして。


と、三島の余談はほどほどにしておきまして、かかる豪華キャストで140分という長尺、
時代劇大作と言えるものだと思うのですけれど、1969年という頃合いに時代劇は
混迷していたのかもと思えなくもないですね。


仲代の武市は月代を剃って(独特の形は月形半平太と同じような…)いますけれど、
裕次郎・龍馬や勤王党の若武者で出ていた山本圭は前髪七三?という現代風で
時代考証よりも(当時としての)かっこよさを見せようとしているようでもあり、
また端役とはいえ、当時の人気者であったコント55号の二人を出演させたりもして、
あれやこれやの手を使って映画をヒットさせようとしていたようでもありますし。


ですが、そうした要素に拘らずに考えてみれば、
この映画は人斬りが主人公という殺伐とした話ながら、
岡田以蔵の青春の蹉跌を描いたものと見えてくるのですなあ。


貧乏郷士の出である以蔵はやっとうの腕は大したものながら、

直情径行で機転も利かず、食い詰め者となっておりましたですが、

その剣の腕を見込まれて武市半平太に声を掛けられ、土佐勤王党とともに京に上るのですな。


武市からの聞きかじりを以蔵なりに受け止める限り、全ては新しい日本をつくるためであると。

「人斬り」という汚れ仕事もそのためなのだと、以蔵は大義名分を得て斬りまくる。その実、

僅かばかりのお手当金で女郎屋にも通える毎日が有難かっただけのようでもあるのですが。


武市にしてみれば、命じたことを何でもやる以蔵をただ重宝に使っていただけ。

おそらくは以蔵を同志とも思っていなかったのではないですかね。

暗殺者として使い倒しておしまいと。


よもやそんなこととは知らない以蔵ですが、幼馴染の坂本龍馬に諭されて

「もしかして…」と気付かされるに及び、以蔵の思いはぐるぐると…。

この辺は、優等生と不良の高校生が実は幼馴染で、優等生くんにだけは心を開く不良くん、

「お前さあ、からまわりしてるだけなんじゃないか」と優等生くんに言われて、

「そうかなあ…」と思いがめぐってしまう…というふうにご想像ください。


そこで、以蔵は武市ら一派からの決別を計りますが、

結局身を立てる術がないことに気付かされただけ。

こうした仲間内から抜けることの難しさでもありましょう。


ですが、改めていざとなれば捨て駒でしかないことを改めて思い知った以蔵は…と、

話は結びに近づいていくわけですけれど、先の龍馬との挿話のみならず、

あれこれの思い込みや、その反対の逡巡、それらがある種「青春」を思わせるといいますか。


もっとも、このような岡田以蔵像は作り物であるらしいことがWikipediaから窺えます。

まあ、それを分かった上で見る限りは、以蔵を通して迷える若者の姿を描いたものとも

言えるのではなかろうかと思ったりするところでありますよ。


それにしても石原裕次郎演じる坂本龍馬(龍馬を演じる石原裕次郎のというべきか…)の

いささか浮くようにも思える爽やかさは何としたことでありましょう。

こんなことでも在りし日の裕次郎人気が目に浮かぶようでありました。


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