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4月23日は「しじみの日」なんだそうですが、そう来るとは思いもよりませなんだ。

聖ゲオルギウスの聖名祝日でありますね。ひらたく言うと「サン・ジョルディの日」と。


聖ゲオルギウスはドラゴン退治で有名な人ですけれど、

その聖ゲオルギウスがスペインのカタルーニャ地方ではサン・ジョルディとなるようで、

とても日本語の感覚からすると同一人物とは思われませんが、それはともかく、

セント・バレンタイン・デーにチョコレートを贈るにように、サン・ジョルディの日には本を贈ろうと。


カタルーニャの習慣に目を付けた日本の書店組合が1986年から焚きつけているも、

いまだに盛り上がることなく終始しているようですなあ。

何しろ「しじみの日」よりも話題性に乏しいと考えられているようですし…。


ですが、だいたいからして日本人はかなりイベント好きと思われ、

事あるごとに盛り上がろうとする傾向があるような気がしますので、

これだけ定着度合いが低いのは珍しいのではないかなぁとも。


とはいえ、キリスト教の聖人たちの聖名祝日を事々に何かしらの形でイベント化していったら、

一年365日の毎日がお祭り日ということになってしまいましょうから、

定着しないのがあった方がいいのかもしれませんですね。


で、そんなことから思い至るのは世に聖人(差し当たりキリスト教の、ですが)とは

それほどにたくさんいるということなのですよね。


そういう宗教上の聖人とやらは、当然にして宗教上の奇跡というか、

そうでなくとも何らかの貢献があった人でありますね。


ですが、英語の「saint」には「(聖人のように)高徳の人、りっぱな人」との意もあるようですし、

必ずしも宗教的なことでなくとも「この人は…」ということがあれば、「saint」と言ってよいのかも。

映画の「St.Vincent」はそうした身近な例も受け入れられるという証しでもありましょうか。


映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」


邦題を「ヴィンセントが教えてくれたこと」というこの映画、

偏屈なじいさんのヴィンセント(ビル・マーレイ)ととある少年の交流を描いているのですね。


ヴィンセントのお隣に母と二人で越してきた少年オリヴァー。

子供らしくない大人びたところがある一方で、極端に運動が苦手ということもあって

転校先の学校では早速にいじめられっ子になるわけですが、母が病院勤めで忙しいことから

お隣のヴィンセントが時給12ドルでオリヴァーの面倒をみることに。


ところが、ヴィンセントは自分が行きたいからというだけでしょう、

競馬場やバーにオリヴァーを連れていったりしてしまうものですから、

母親としてはとんでもない人に息子を預けてしまったと。


そんなあるとき、学校で出された課題は

「Saint among us」を探してレポートにまとめ、発表するというもの。

先にも触れたように、ここでの「Saint」は宗教的な聖人というばかりでなく、

身の回りにいて何かしら「ふ~む」と思わせる人であっていいわけですね。


優等生はここでマザー・テレサを取り上げたりするわけですが、オリヴァーが取り上げたのは

もうご想像がつくものと思いますけれど、ヴィンセントであるのですなあ。


とても褒められたものではないところも目立つヴィンセントながら、

実はヴェトナム戦争時には果敢に仲間を救い出した英雄であったり、

認知症を患って施設に入っている妻の洗濯ものを洗って届けるのを

8年にわたってきちんきちんとこなしているという愛妻家の一面もあったり。


オリヴァーは行動をともにしながら、つっけんどんな表側とは違う面に気がついて、

「この人は決して悪い人ではない」と思うようになっていったのでしょうなあ。


ここで「悪い人でない」という人を「聖人である」というところまで

持ち上げてしまうのは極端な気もしますが、うまくは言えませんが

これはこれでとてもキリスト教的であるような気がしてきますね。


善良なキリスト者が根っこのところで共有しているような雰囲気とでもいいますか。

印象だけでお話としてはまるで関係ありませけれど、

サローヤンの「ヒューマン・コメディ」を読んだときの感じ…とは言い過ぎかもですが。


先にも触れましたように聖名祝日は毎日誰かしらの日でありまして、

キリスト者でないものから「やたらにあるな」としか思われなかったりするところですけれど、

キリスト教の人たちは自らに関わり深い守護聖人の日を気にかけているようす。


さすれば、オリヴァーにとっては聖ヴィンセントが守護聖人のようなものという印象でもって

長く大人になっても記憶し続けるのではないですかね。

大人になって「なんてはっちゃけたじいさんだったんだ…」と思い返すとともに

「わがままで嫌われ者でもあったけれど、いいところもあったよなあ」としみじみすることでありましょう。


人が記憶に残るというのは、何も大きな業績や知名度だったりするわけではないですね。

そんなことに改めて気付かされる聖ゲオルギウスの聖名祝日なのでありました。


あ!しじみの話は・・・特にありません(笑)。


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