これまた古い映画のお話。
もう何十年か前に「○曜ロードショー」てなTV番組で放送されたのを見たきりですので、
何とも懐かしい限りの「宇宙からの脱出」なのでありました。


宇宙からの脱出 [DVD]/デヴィッド・ジャンセン


よく考えると「宇宙からの脱出」というタイトルには違和感がありまして、
「脱出」という言葉からすると狭いところから広いところへ抜け出すイメージなのですが、
宇宙空間とは広大無辺に広いわけで「そんな広さのあるところから脱出?」と思ったり。


原題は「Marooned」で、ともすると(マロンとのつながりでしょうか)「栗色の」なて訳語が出てきて
「なんじゃあ?」と思うところながら、・スティーヴンソンの「宝島」には
「Marooned!」(置き去りにされちまったぁ!)といった用例があることを知れば、
なるほどと腑に落ちるわけですなあ。


米国での有人飛行宇宙計画が進行する中、アイアンマンⅠ号に乗り込んだ宇宙飛行士3名は
地球の周回軌道上にある宇宙カプセル(宇宙ステーションというにはちと小さい)とドッキング、
カプセルの中で7ヵ月の生活を送り、人体にどのような影響がでるかという実験に臨むのですな。


もちろん身動きができるスペースがあるものの、決して広いとは言えない閉鎖空間にあって
3人は心身共に疲労が蓄積していくのですが、そのようすと地球に送信されるデータや
映像から察したヒューストン基地は予定を2ヵ月繰り上げて地球に帰還させることを決定します。


カプセルからアイアンマンⅠ号というさらに狭い空間に移って、
いざ大気圏に突入すべくメインエンジンに点火…のはずが一向にロケットは噴射しない。
自動からマニュアルに切り替えてもだめ。原因は不明。


ヒューストン基地ではあらゆるデータを調べ直す間は「待機」の指令を出しますが、
3人横並びに座るだけの空間にじっと置かれては焦燥感が募るばかり。


飛行士の側は船外に出て機器のチェックをしたいと申し出るも、ヒューストンはこれを却下。
船外活動は酸素の残存量を余計に減らしてしまうから「とにかくじっとしておれ」というのですな。

まさに「Marooned」感がじわじわ増していくわけでありますよ。


この映画は1964年作品ですので、米国のアポロ計画は現在進行形の状態。
初めて人を乗せて発射されたのは1968年のアポロ7号で、
地球の周回軌道上で11日間を過ごし帰還するのがその時のミッションであったことを思えば
映画の話はかなり先んじていたわけですなあ。


後に絶体絶命の危機的状況に陥るも帰還を果たしたアポロ13号のケースは
映画「アポロ13」(1995年作品)に描かれるところですけれど、
まあ実際の成功事例ではあるとしても、ここでの描かれ方は米国の科学力というのか、
危機管理能力というのか、その辺を通じて「アメリカはどうだ、すげえだろ!」的な
メッセージが入り込んでいる気がしたものですが、1964年当時はまだまだ惑いも迷いもあるような。


有人飛行計画は夢のようなプロジェクトであるとの側面が強調されていたわけですが、
いざ不具合が生じた場合に飛行士たちを見殺しするしかないとなれば、
人道的な側面での話が出てきたりするのはいかにもなところですし。


ヒューストンの現場としては物理的に可能な手立てが無いことを遺憾としながらも

諦めムードも漂いますが、大統領(やっぱりケネディと思ってしまうところかと)からの電話は

「手を拱いているだけは国民が納得しない」、物理的に不可能でも何でも何とかするのだと

政治向きのところから迫ってきたりもしますし。


で、結局のところという結末は想像がつくでしょうから触れないことにするとして、
1964年という頃に宇宙を描いたSF映画はSFXてな技術はありませんから、

要するに「特撮」ですね。


今から見れば「何とちゃちな…」と思えてしまうこともある「特撮」ですが、
それでもってリアルさを追求してもその後のSFXなどには敵うはずないとは言わでもがな。
それだけに使いどころを押さえてほどほどに使う分には効果的だなと思えなくもない。


宇宙を舞台にした映画であるにもかかわらず、
そうした「見せる」面をほどほどにしてしまっては見所がないのでは?ともなりますが、
この映画に関しては「さにあらず」あったように思うのでして。


閉ざされた空間の中で派手な動きも無く、役者は語り、表情で見せる。
実は台詞劇であり、心理劇であるのだなと思うと、

宇宙といういかにも映画に馴染む背景を持ちながらも、これを舞台化したとしたら、

それはそれで面白いものになるだろうなあという気がしたのでありますよ。


そうなるともう頭の中では舞台装置やら演出やらの工夫を考え始めてしまったりする…とは
妄想以外の何ものでもないわけですが、例えば(とひとつだけ引き合いに出すのは恐縮ながら)

「アルマゲドン」のように宇宙空間で隕石爆破の突貫工事をするといった

派手なアクションがなくとも、静謐な宇宙、それだけに奥深く得体の知れない宇宙空間を

静かに描き出すことも可能だなと改めて。
人間の想像力をより鋭敏にさせるのは後者なのかもしれない…とも思ったりしたのでした。


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