…ということで、印刷博物館 のVRシアターで程なく始まった「絢爛 安土城」の上映。

予て安土城の壮大さはあれこれ話に聞くところではありますけれど、

これを見て初めて「すんげえ、お城だったんだあねぇ…(あんぐり)」と思いましたですよ。


今では琵琶湖の水際から奥まった地形になっていますが、

信長の当時は内海状の水面が安土山の真下まで迫り、

湖から直接船でアプローチすることができたわけでして、

あたかも湖面をわたる船に乗っているような視線で城を見上げたり、

はたまたやおら俯瞰に転じたりと自在なところがVRですなあ。


やっぱり一度は安土城跡にも出かけてみんといけんかのうと思わされたところで、上映終了。

で、VRシアターから出たところ、お隣の会議室?(グーテンベルクルームというそうな) に

たくさんの人が講演会の開始でも待っているようす。


試しに受付に尋ねてみますと、まさに企画展に合わせた講演会があるそうで、

満席にはなっておらないと。


ところで、開催中の企画展とは何ぞやでありますけれど、

「武士と印刷」という些か意表をつく取り合わせの展覧会タイトルで、

もちろんこれにも釣られてやってきたわけでして。


「武士と印刷」展@印刷博物館


でもって、この企画展に合わせた講演会は

「京都所司代板倉重矩の知られざる出版活動-殿様は、やっぱりすごかった-」というもの。

日本史に疎い者としては京都所司代と板倉という姓まではなんとなく分かっても、

この重矩という人物を知りませんでしたから、どうしよっかなとは思ったものの、

これも何かの縁?と講演を聴いてみることにしたのでありました。


これまた結果的には興味深い話でしたなあ。

とある古刹のお寺さんが持つ文書の調査をしていたところ、

老中から異例の異動によって京都所司代となった板倉重矩は

書物の発行を手掛けていたということが、ごく近年になって分かったのだとか。


企画展示の内容とも関わってきますけれど、

多くのお殿さまがいわゆる「出版」に関わっていた事実はあるということながら、

板倉の活動が知られなかったのは「無刊記本」で出されたからなのだそうで。


刊記と言いますのは、今で言う奥付にあたるもの。

これをみれば発行日やら発行人やらの情報が得られるのですが、

これが無いのが「無刊記本」となれば、何か他の史料がなしには不明ということになるわけです。


経緯は端折って、それが調査研究によって

板倉重矩が出版を手掛けたものであったと分かったわけですが、

では何故に無刊記にしたのか…でありますなあ。

お殿さまはとかく自らの業績を誇示したがるところでしょうに。


それには当然にして訳があるのですけれど、いったいどんな本を出していたのか。
分かっているのは「牧民忠告」、「新註無冤録」、「荒政要覧」という3種でして、

それぞれ良い役人の心構えを説いたもの、冤罪を生まないための法医学知識を伝えるもの、

飢饉対策を指南するものと、いずれも「役人必携」のような書物でもあろうかと。


京都所司代という役職がら、部下たちに読ませて「励めよ!」というのは

大いにありと思うところですが、どうやら表立ってそうするのはまずかったようなのですなあ。


印刷された本が出回るということは、内容が広く流布する可能性につながりますね。

「民のことを考えて役人はこうあるべし」てなことが町民たちに知れると、

そのとおりやってない役人がいっぱいいるじゃないかと言われかねない。


また、飢饉に関する知識を得た農民が独自に対策を施し始めるかもしれませんが、

それは為政者側の仕事であって、農民が口出しすることではない。

要するに知らないでいいことを広く知らしめるのは当時の為政者にとっては

都合の悪いことだったわけですね。


ですから、「京都の板倉は町民、農民にまでいらぬ知恵をつけておって…」てなことを

幕府から言われたくないけれど、板倉としては有益な知識を広めたかったということでしょうか。

発行人を詳らかにしなかったのはそうしたことでもあるのでしょう。


掻い摘んでしまいすぎかもながら、そんなような興味深い講演の後に

「武士と印刷」展の会場の方に移動したわけですけれど、

そこには武士(大方はお殿さまたちですが)が関わった印刷物がたくさん並んでおりました。


ひとつには板倉のように有益な著作(元は中国のもの)を復刻出版する発行人となるパターン、

ひとつは何らかの内容を自らの考えで纏め上げて出版する編集人となるパターン、

もうひとつは自らが自らの思うところを著す作者となるパターンに分かれますが、

最後のパターンはかなり少ない。


そんな中でちと目をとめましたのが「雪華図説」という書物。

ひたすらに雪の結晶の紋様を記録した本ですけれど、これを書いたのもお殿さま。


「殿、明けても暮れても雪のことばかりお考えで。本当に左団扇で困ったものよ」

と家老に言わしめるのんびりお殿さまかと思えば、幕府で老中首座まで務めたという。

作者は古河藩藩主の土居利位(どいとしつら)という大名なのだそうですよ。


それはそれで面白い研究なんですが、こうした出版物に比べても

先に話のあった板倉の方は京都所司代という要職にありながら

幕府に内緒にしても知識の流布を図ろうとした出版物であったわけですね。


数々のお殿さまが関わった印刷物のあれこれを見て回りましたが、

板倉の気概が感じられるようなものは少ないのではないですかねえ。


と、そんなこんなの果てに印刷博物館常設展示をじっくりという目論みは

また別の機会譲りになってしまったのでありました…。


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