山種美術館 に行ったついでとなれば、
歩いて数分のところにある國學院大學博物館にも寄っておこうかと。
こちらには以前に一度覗いてみたことがありますけれど、
折しも「江戸文学の世界―江戸戯作と庶民文化―」なる企画展が開催中であったものですから。
元来、入場無料の割りには考古学や神道、国学に関する豊富な展示がなされている博物館ですが、
どうも企画展の展示は小規模ではあったものの、館内で持ち帰り自由の冊子が展示内容を網羅して
充実した内容でありましたので、これも読み返して反芻したあたりを留めておこうかと思ったわけでして。
江戸期の文化と言いますと、江戸時代というその呼ばれ方やら、
はたまた個人的に関東の人間だからということもあるのでしょうけれど、
江戸という場所でのものと考えがちですけれど、どうやらそうではないのですなあ。
考えてみれば、秀吉から関東に移れと言われた家康は要するに左遷であったわけで、
当時の江戸は田舎も田舎。幕府を開いたからといって、やおら文化都市・江戸てなことになるはずもない。
ここで取り上げられる「文学」という分野に関しても、その流布に必要な本屋(版元)は
旧来からの文化の中心である京に始まり、大坂が続くといった状況であったようす。
何でも江戸初期に描かれた「洛中洛外図」には書店が見てとれるものがあるのだそうですよ。
そうしたこともあって、江戸文学の早い段階での著名人として名の挙がる井原西鶴などが
上方の人であるのはむべなるかな…なんですなあ。
ですが、元は田舎であったとはいえ政治の中心として動き始め、
徳川幕府の威信をかけて整備した街づくりが落ち着いてくれば、江戸にも動きが出るのは当然かと。
当初は京や大坂の出店しかなかった江戸にも自前で本を出す版元が現れてくるという。
それがだいたい1700年代のことだそうで、「江戸っ子」という言葉もこの時期に出てきたとなれば、
名実ともに江戸が日本の中心となったものでありましょう。
出版される本がカテゴライズされて呼ばれるということは、
それなりの数の類似本が出版されたと考えられるものと思いますが、
洒落本、黄表紙、滑稽本、人情本…と次々に登場するのは出版文化の華やかさを示すところかと。
「必要は発明の母」ですから出版の技術も向上していって購買欲をそそるようにもなる一方で、
出版文化の開花を支えたのが世界にも類を見ない江戸期の庶民の識字率でもありましょうね。
そうした中で誕生したのが滑稽本のスーパースター十返舎一九 。
文章のみならず、絵もよくした一九は自らの挿絵を入れた(つまりは二人分の仕事をした)本を
次から次へと出してはいずれも大当たり。筆一つで生業を立てた専業作家の嚆矢と言われますね。
ですが、戯作者の誰もが挿絵を描けたわけではありませんから、
文章を書くのとは別の絵師に依頼をすることになるわけですが、
こういっては何ですが戯れ文とも思えるものに絵を寄せているのが思い寄らぬ大どころなのですなあ。
例えばですが、幕末から明治にかけてもっぱら児童向けに出された絵本である「豆本」には
「歌川広重、国政、豊広、国芳などの一流絵師が画工として携わっていた」ようです。
今や「浮世絵」は海外でも大いに評価される「芸術作品」と見られているだけに、
浮世絵師(の、特に大どころ)は芸術家であると受け止めるところですけれど、
彼らが生きた時代の感覚では何より生活の糧を得ることに度外視して
作品作りに没頭するなんつうことでもなかったのでしょうなあ。
何だか生活観、生身の人間味が感じられる気もするところでありますよ。
まあ、なんにせよ興味深い展示でしたですなあ。
その分、(一度見たとはいえ)他の展示に目を向ける時間が無くなってしまいましたので、
別途の機会にまた訪ねてみるてなことにしようと思った國學院大學博物館なのでありました。


