先日読んだ「シャルビューク夫人の肖像 」はアメリカの小説でしたので、

今度は目先を変えてフランスものを。
といっても、タイトルに「お!」と思って手に取っただけですが。


Zの喜劇/ジャン=マルセル・エール


「Zの喜劇」というタイトル。ミステリーをよくお読みになる方であれば、
エラリー・クイーンがバーナビー・ロス名義で発表した作品を思い出すところではないかと。


シリーズとしては「Xの悲劇」、「Yの悲劇」、「Zの悲劇」、
「ドルリー・レーン最後の事件」とあり、最も有名なのは「Yの悲劇」ですけれど、
この中の「Zの悲劇」をパロディーにしたものでもあろうかと思ったのでして。


ですが、結局のところエラリー・クイーンとはいささかの関わりもなくして、
ここでの「Z」とは「Z級映画」の「Z」のことであるという。
B級映画とは聞き及ぶところでありますが、はて、Z級映画とは?


どうやら「B級映画くらいはかわいい、かわいい」てなもので、
もはや何とも言いがたい、開いた口がふさがらない、

それ以前にとても全編見通すことなど無理!という映画ようなのみが

Z級という冠を戴くことができるようなのですな。


ここで「冠を戴く」という言い方をしましたのも、
一般的な評価はともかくも、そうしたZ級映画にこそ隠されたお楽しみが満載であり、
それを見い出してこそ真の映画通であると考えるようなマニアが存在しており、
彼らに言わせれば「Z級映画こそ貴重な存在」となるようなのでありますよ。


本書の主人公フェリックスは典型的なZ級映画マニアであって、
いわゆるZ級映画とされる作品のタイトルがてんこ盛り出てきますが、
タイトルを見るだけでも「なるほど…」と思ってしまうものばかり。


そして、見ているばかりでは飽き足らないフェリックスとしては
自らも映画制作に向かうべく、シナリオ書きに鋭意取り組む毎日を送っているのですよ。


ある時「シナリオを見たい」というプロデューサーが現われ、
分けてもホラー好きのフェリックスは「恐怖のホスピス」なるシナリオを手に、
プロデューサー指定の場所へと意気揚々と出かけていくのでありました…。


読み始めて即座に思ったことは
「Z級映画を文字化するこういうことになるのではないか」ということ。


フェリックスの言動と、シナリオ「恐怖のホスピス」の内容とが交互に叙述されていきますが、
いずれもがあまりの馬鹿馬鹿しさ(笑うに笑えない)だものですから、
これは全編読み通すことができないのではないか(どこで読むのをやめようか)と。


されど、少し辛抱して読み進んでみますと、
(Z級映画のほうは知る由もありませんが)このZ級の文章は
「わざわざこのように書き綴っていくというのは、それはそれでかなりの技がいるのでは…」
と変なところを関心するようになっていったのですね。
(その点で言えば、日本語訳にも相当なテクニックが必要だったでしょう)


そして、もそっと読んだところで「ほげ?そう来る?」という展開に出くわす(ちなみに96頁)
その先もB級映画の主人公めいた呆れ返る言動を繰り返すフェリックスのようすと、
それを叙述する語り口は全く冒頭から変わることのない(即ち馬鹿馬鹿しい)調子で進む点は
相変わらずながらも、すっかり装いはミステリーとなってくるのでありますよ。


ホスピスの入居者(当然のことながら高齢者)たちが繰り広げるドタバタは
映画「カルテット!」 を何十倍か過激にしてもの(比較するも「カルテット」に申し訳ないながら)で、
そのあまりに自由な書きようには唖然とするところではないでしょうか。


とはいえ、最終的には高齢者のかなりリアルな心情に寄り添ったものとなっていくあたり、
Z級とは一線を画してしまうものなのではなかろうかと思いますが、
フランスの書評に「めまぐるしい展開の破天荒な小説」(カバー裏所載)とあるとおり、
とにもかくにもサーカスのような小説でありましたですよ。


こうした感想にたどり着く前に、
たまたま本書を手に取った方々が途中で放り出すことなからんよう祈るばかり…。



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