「Chormeile 」の最初だけをつまみ食いの感じで
聖霊教会での合唱に浸るひとときを過ごした後は、再びフランクフルトの現代美術を覗きに
シルン美術館(Schirn Kunsthalle)へと向かったのでありますよ。
場所はちょうど大聖堂
とレーマー広場
を繋ぐ回廊のようにもなっているところで、
辺りで進行中の再開発プロジェクトの関係で、文字通りの通り道にされてしまっている感あり。
ですが、そんな通りすがりの人たちにもコンテンポラリー・アートの一端に触れてもらう機会を
提供することにもなっているのやもしれませんですね。
これは完全に館外に置かれたインスタレーションですけれど、
上部に吊り下げられたノズルから水が噴き出し、下のプールに波紋を作る類いのもの。
手前の大聖堂側から来て、抜けた先に見えるレーマー広場を目指す人たちが十中八九、
「何これ?」と足を止めていたようでありました。
そうした通り道であることの結果としての賑わいなのか、
例のバッヂを手に入れた人たちが「ここもついでに」ということか、
その辺は詳らかではありませんけれど、
館内もコンテンポラリー・アートの展示にしては結構な入り。
日本人よりはコンテンポラリー・アートの敷居を低く感じているのかもと思ったりしたですよ。
現代ものらしく複合的なメディアによる作品作りの成果が展示されていたですが、
ある程度のスペースを取って集中的に展示されていたのは、
至ってとっつきやすいものでありました。
開催されていたのは、
アメリカのマルチメディア作家であるダグ・エイトキンの作品を集めた展覧会。
最初におかれた360度の円筒形に映像が映し出される大きなスクリーンでは、
その円筒形の中に入りこんでぐるりを眺めやるビデオ作品がエンドレスで流されており、
誰もが床に寝転がって眺めていましたっけ。
そして展示作品の数々は特段の予備知識がないだけに、
せめてもの情報としてのタイトルを糸口に
見る側が勝手な受け取り方をしてよいとの勝手な前提に立てば、
コンテンポラリー作品であっても見た目のきれいさを忘れていないと思われるだけに
ちょっと惹かれるなぁと(深遠な意味合いがあっても、読み取れていないということですが…)。
まずは飛行機シリーズとも言えそうな2枚。
「Cloud Plane」と「Earth Plane」というタイトルで、
それぞれ雲海と地表(そうは見えにくいでしょうけれど)が飛行機をかたどった切り抜きの中に
浮かび上がっています。
単純に「旅のイメージとリンクする」てなことを言っていいのか…ですけれど、
どうしても前者はFM放送往年の名番組「ジェットストリーム」を思い出してしまうところです。
続いては「1968(BROKEN)」というタイトルの作品。
「BROKEN」とあるとおりに「1968」が壊れているわけですが、
はて1968年にはいったい何があったっけ?と考えも俄かには浮かんでこない。
後から振り返ってみると、起こったことはあれもこれもとなりますけれど、
まあ世界的なことと言いますか、芸術や言論を脅かしたものとしては
西では「プラハの春」があり、東では「文化大革命」があった年なのですなあ。
作者の思いは奈辺にありや?ながらも、こうしたことを顧みるきっかけにはなりますね。
ちなみに同じ年、日本では三億円事件がありましたが、作品への影響はないでしょうね(笑)。
こちらには「Listening」というタイトルが付いていましたですが、
いまだに純然たる携帯電話利用者(しかも利用頻度は極めて低い)である者にとっては、
「iPhone」を代表とするスマートフォンなるものの近未来を示しているやにも思えるような。
その(作者だけでなく、この書き手の方もが) 意味するところはご推測願うとして。
最後にもうひとつ、「SUNSET(Black and white)」という作品を。
ここまで実に自由な(勝手な)発想で「こうかな、ああかな」とコメントしてきたですが、
この作品に関しては制作年が2011年だということだけ触れておくとします。
おそらくそれだけで「!」と思われるかもですが、
こうした持って行き方自体がある種、誘導になって見方を狭めてしまうやもですので、
思わせぶりは禁物なのですけどね
ということでシルン美術館もまた、
さほど驚くにはあたらないコンテンポラリーアート探訪となったのでありました。


