先日、フランクフルト考古学博物館
のことを書いた中に
ヴェスパシアヌス帝時代(紀元69~79年)のローマ帝国の版図を示しましたけれど、
ヴェスヴィオ火山の大噴火による溶岩流でポンペイが灰燼に帰したのは、
ほぼその頃だったのですな。
皇帝はティトゥスに代替わりしているものの、噴火は紀元79年8月24日のことだそうですが、
何だって唐突にこうした話になるかと言いますれば、映画「ポンペイ」を見たからでありまして。
見ようと思った背景は、フランクフルト考古学博物館のことがあり…ということではなく、
以前行った印刷博物館
(マインツのグーテンベルク博物館
ではなくって、東京の)で上映された
「ポンペイ『庭園の風景』」(噴火で埋もれる以前のポンペイの様子を再現したCG映像)で
「ほぉ~」と思ったことの方ですね。
で、映画のお話ですが発端に登場するのは、ポンペイでもなければイタリア半島でもない。
ゲルマニアとはまた別にローマ帝国にとっては辺境も辺境のこちら、ブリタニアなのでありますよ。
また、フランクフルト考古学博物館の展示解説を利用させてもらってますが、
ご覧のようにローマ帝国の範囲を示す線がブリタニアでは点線になっておりますね。
つまり、前線をかっちり確保できないほどに抵抗が激しかったと想像することもできようかと。
ローマに対抗したのはケルト騎馬民族。
お話はケルト人の叛乱をローマ軍が鎮圧するところから始まるのでありますが、
この軍を率いるコルヴス(キーファー・サザーランド)が大層悪逆非道な人物で、
鎮圧後に残ったケルト人を一切なで斬りにしてしまうのですな。
この時に何とか生き長らえた子供が本編の主人公。ローマ人に拾われて奴隷となり、
グラディエーターの道を歩むことになるマイロ(キット・ハリントン)でありました。
父母を虐殺された恨みをばねにしたか、
グラディエーターとしてはブリタニアで向かう所敵無しとなったマイロ。
もそっと大舞台に出して金儲けをと企む輩によって、
ポンペイのアレーナ(円形闘技場)へと連れて来られるのですね。
ポンペイという町の悲劇にこうしたエピソードを持ち込んだのは、ヴェスヴィオ山が
「ローマ人にとっては紀元前73年に剣闘士スパルタクスが仲間とともに立て籠もった山として
記憶されていた」とのWikipediaに記載されているようなことが、
制作サイドでも知られていたからなのかもと思ったり。
とまれ、マイロはふとしたきっかけからポンペイの資産家セヴェルス(ジャレッド・ハリス)の
娘カッシア(エミリー・ブラウニング)と知り合い、身分を超えて互いに惹かれあうようになっていったり、
やおらローマから現われたコルヴスを垣間見て「すわ、親の仇!」と見定めたり、
はたまた実はコルヴスがカッシアに執拗に言い寄っていたり…といった
あれこれのエピソードが盛られてますが、まあ、さほどに大した話ではない。
やはり見所としては、ひとつにグラディエーターの戦闘シーン。
これはアクションが凄いとかそういうことよりも、アレーナに集う観衆などの描写が
ジャン=レオン・ジェローム描くところの「グラディエーター」
にあまりにもそっくりなのですよ。
その辺をじっくりご覧になるのが、アレーナでの戦闘シーンの楽しみ方でもあります。
そして、それ以上の見所は何と言ってもヴェスヴィオ山の噴火シーンでありましょう。
安直にCGなぞといっては叱られてしまう技術の粋を注ぎ込んだ作画技術かもしれませんが、
火山の噴火を扱った映画がこれまでにもたくさんある中で、よくまあ、こんなに進化したものだと。
素朴な感想として、そんなふうに思いましたですよ。
ところで、当時のローマ帝国はその版図を大きく広げていたわけですけれど、
この映画を見る限り、お膝元のイタリア半島の、ポンペイのようなまとまりある都市(国家)は
必ずしもローマの支配下にあるという意識を持っていない(あるいは持ちたくない)のではと
思ったのですね。
ですから、時の皇帝ティトゥスはポンペイの復旧に尽力したようで、そうしたことも
慈悲深い皇帝(モーツァルト
最後のオペラは「皇帝ティートの慈悲」)と見られる一因かもですが、
考えようによってはこの機にローマ主導の再建を果たして支配を磐石に…といった
考えがあったのやも。
映画単体としては迫力あるシーンといった要素はあるものの、
さほど感心する内容でもありませんですが、当時のローマ帝国の状況なども
考え合わせてみることで面白く見ることができた映画「ポンペイ」でありました。


