ヴィースバーデンの町はずれ、ネロベルク
(申し遅れましたがbergは「山」の意)へとやってきて、
登りはネロベルク鉄道ですいーっと。で、下りは…?
片道にするか、はたまた往復か。
乗車券を買う前に「歩いて下りてくるとどのくらい掛かるか」を駅員に尋ねたところ、
「15分」との答えがあったものですから、そのくらいならば登りの片道切符でいいやと。
駅員の言うとおりに15分で下るには、
山頂駅のすぐ脇の道を木立の中へと進んでいくのが筋であろうとは思うものの、
登って景色を眺めてただ下るというのも「なんだかな」ですので、
山頂の案内板で何かしら面白きものはなからん?と確かめたのですね。
子供向けのフィールドアスレチックのようなところやスイミングプールと共に、
ロシア正教の教会があるということでしたので、これに釣られてそちらの方へ。
ところが、これを進んでみると思いのほかどんどんどんどん下ってしまい、
こりゃあ取り返すのにまた登る気にはなれんな…と。
ですが、ある程度下ったところでロシア正教会を拝みもせずに引き返すのもまたなんだかな。
「まいったな…」と思いつつも、下ることしばし。
ロシア正教会の堂々たる姿がどお~と目に飛び込んできたのでありますよ。
やはり塔の上のたまねぎが(モスクワあたりのよりも単なるドームに近いとはいえ)
異彩を放っておりますなあ。
手掛けたのはナッサウ公国お抱えの建築家フィリップ・ホフマンであるとか。
ホフマンと聞いて「ウィーン分離派の?」と思いましたが、あちらはヨーゼフでしたですね。
「フィリップ・ホフマン」で検索をかけると、「フィリップ・シーモア・ホフマン 」ばかりがヒットするので
人となりはあまりよく分かりませんでしたが、ヴィースバーデンには他にも教会をはじめ
ホフマン作品が残されているそうでありますよ。
しかしまあ、フィリップ・ホフマンから思い違いでヨーゼフ・ホフマン、
引いてはウィーン分離派、ユーゲント・シュティールを思うに至ったのは
ヴィースバーデンの町の、建物の雰囲気に「らしさ」が感じられたからでもありましょうか。
その町のようすは後ほど。
で、このロシア正教会からその先は、辿るべき道が三方に分かれていたのですね。
ひとつはもと来た道で、登り返していけばネロベルク鉄道の山頂駅に戻れるのは確実。
もうひとつはロシア正教会に車で行き来するためでしょうか、車道がずうっと下っている。
最後のひとつは方向的にはネロベルク鉄道脇の下る道に途中で合流するのではと思しき山道。
こうなると、何の確証もないながら、取るべきは最後の選択肢だと思うわけでして、
迷わず進んだですが、これが何と行き止まり。また間違ってしまったかと…。
正確には堅く閉ざされた鉄の門扉にたどりついたのですが、どうやら中はブドウ畑であるようす。
周囲はぐるり塀で囲われていましたので、単純には戻るしかないと思われるものの、
下り斜面の塀沿いに(道なき道を)急降下すれば、どうやら車道に出られそうと踏んだのですよ。
まあ、見ようによっては不審者的行動ながら、蜘蛛の巣といささかの格闘の末、車道に到着。
大袈裟な言い方をすれば、木立に囲まれた森の中を手探りで進んでみれば、
やおら一気に視界良好なおとぎの国(とは大袈裟ですが)に出た!と、そんな気がしたものです。
先にネロベルクの山裾には閑静な住宅街が…てなことを言いましたですが、
閑静であるばかりか実に瀟洒な住宅街でして、単に誰か知らない人のお宅であろうに
ついつい写真を撮ってしまったり。
結局のところ、ネロベルク鉄道の谷側の駅に帰りつくことにはならなかったものの、
駅から町の方へと伸びる谷筋(ネロタール)の公園に降りてきたのでありました。
上のゾウリムシのような形をした園内マップでは、左上端がネロベルク鉄道駅で
右下に向かうと町なかに近付くといった具合です。
ゆるゆる散策のつもりで町の方向へ歩いていったわけですが、
この公園沿いに並ぶ建物もまた「ええ感じだあね」というものばかり。
よおく見れば、手すりであるとか、そうした細かな装飾の部分なんかに
「ユーゲント・シュティール」の香りが漂うといいましょうか。
単なる思い込みかもしれませんけれど。
ちなみに「ユーゲント・シュティール(Jugendstill)」の「ユーゲント」は「若者」、
(ヒトラー・ユーゲントなんつうので聞き覚えがある方もおいでかと)
「シュティール」は「スタイル」のことですから「青春様式」てな言い方もあるようで。
日本語にしてしまうと何やらこそばゆい気もしてくるネーミングですけれど、
雰囲気的には爽やかな(ぎとぎとしてない)華やかさといった感じで捉えると、
公園の周囲に建つ家々はまさにそうした印象であったと思うのでありますよ。
とにもかくにも、こうしてまた道を間違えながらもネロベルクを下ってきたのでありました。


