奇しくも昨日は川の話題(といってもライン川 ですが)を書いていた、まさにそうした頃合いにも
鬼怒川では大変なことになっていて…。
午後などはTVの生中継で茨城県常総市の新石下という地名が有名になってしまいましたが、
もはや遠縁しか住まっておらないとはいえ、父親が生まれ育ったのは実にその辺りなのでありまして。
後になって母親と電話で話したところ、遠縁の人たちは早くにつくば市の身寄りの元に避難しており、
心配には及ばないとのことながら、おそらく住いはすっかり水に浸かってしまったのではないかと。
また、堤防が決壊したのと反対側の対岸のことは余り話にでませんけれど、
そちら側には母親の実家があり、実のところはこちらの方にも
決壊地点より上流でオーバーフローした水が押し寄せ、床下が浸かっている…
とは、やはり母親の話。
鬼怒川堤防の決壊は新石下ばかりでなく、さらに上流でも、下流でも起こっていて、
かなり集中的にダメージを受けているような。
そんなときにまた思い出してしまうのは、田中正造のことなのでありますよ。
元来、川は流れたいように流れている。
それを捻じ曲げるのは、神をも恐れぬ自然への反逆だ…と、
その通りの言葉を田中正造が行ったわけではありませんが、
脚色はあるも意味するところは間違っていないでしょう、きっと。
現在の鬼怒川は常磐自動車道・守谷SAの近くで利根川に合流することで、
利根川の支流とされていますけれど、以前にも触れたように昔の利根川は江戸湾(東京湾)に
流れ下っていたわけです。
で、昔々の鬼怒川はといえば、むしろ今の利根川に近い流路を下って、太平洋に注いでいた。
つまり、利根川と合流することはなく、鬼怒川が本来、流れたい川筋であったわけですね。
ところが、江戸の洪水対策を念頭に、徳川家康以来、利根川東遷事業が展開されて、
利根川は江戸湾ではなく太平洋に注ぐようになった。
途中で、鬼怒川やその東側を流れる小貝川の流れを併せてです。
ですが、太平洋に直接注ぐ川筋の許容量のもともとは
ある程度鬼怒川などの流量に見合ったものだったんではないですかね。
利根川を下ってくる流量までは、自然の流れとしては想定外といいますか。
群馬方面の山間の川の水を集めて、利根川の流れはとっても大きいなわけですが、
そこに途中から鬼怒川の水がおじゃまをしようとしても、普段はなんとかなっても
いざ大雨が降ったりすると、利根川に鬼怒川が流れ込めないてなことにもなろうかと。
地図の真ん中下側に付けた赤丸印が合流点ですけれど、
北からはどんどん下ってくる川の水が南の合流点で利根川に流れ込めないとなれば、
にっちもさっちもいかなくなった水が常総市あたりでオーバーフローするのは
いかにもなことにも思えてくるような。
今回の原因として語られるのはもっぱら台風の影響で南から北へと帯状の雨雲が続々とやってきて、
あたかも栃木・茨城あたりの地域に居座っているかのように大量の雨を降らせた、だからと
言われて、それはそれでその通りなのでしょうけれどね。
もちろん、今さらのように「それは徳川家康が悪い」というようなことでもないですが、
川の構造がそんなふうになってしまっているということなのではないですかね。
鬼怒川の堤防決壊は相当昔にあって以来てな話ですけれど、
鬼怒川の目と鼻の先で育った母親にすれば、増水した川に家が流されていくようすなどは
何度も目にしていると言いますし、鬼怒川の東隣りの小貝川もたびたび溢れ、
1989年の堤防決壊で辺りが広く水に浸かったことをご記憶の方もおられようかと。
まあ、話に出て来るかどうかは別として、
そういうものだということを考え合わせて治水対策は行われているものと思いますけれど、
自然を相手にこれを制御するということの尋常でなさを思うところでありますよ。
北関東に続いて、東北にも被害が及んでいるようですが、
被害の最小化と生活のいち早い平常化を願ってやまないところです。