ライン・マイン紀行 をご披露申し上げておりますところなれど、
例によってどのみち長丁場になるものと想定されますので、折々違う話題を登場させることにして。


ドイツの旅話とは思い切り毛色が異なるのも、その落差(?)がよろしいのではなかろうかと。

先頃にふとしたきっかけから映画やTVの古い時代劇を目にして
予想外の面白さを感じたりしたわけですが、その延長のようなものとなりましょうか。
1946年の映画「七つの顔」、片岡千恵蔵の主演による多羅尾伴内ものであります。


七つの顔 [DVD] COS-036


古い時代劇に目を向けることになったそもそもは

林家木久扇師匠の落語 (というより思い出話)ですけれど、その中でも触れられていたように、

戦後のGHQ政策のひとつとして時代劇禁止令があったわけです。
武士道、チャンバラ…そうしたものにきな臭さを感じたからでありましょう。


当時の映画人としてみれば、娯楽時代劇あたりを提供することによって
焼け野原の中で懸命に再起を図る人たちを束の間にもせよ、
元気付けてやりたいと考えたのではなかろうかと思うところですが、
これにダメだしをされるわけです。


ということでもあり、戦前からの時代劇の大スター・片岡千恵蔵を起用した現代劇を作ることに。
1946年の「七つの顔」はそんなことから生まれたのではなかろうかと。


刀を拳銃に持ち替え、馬から自動車に乗り換えた片岡千恵蔵扮する探偵・多羅尾伴内が大活躍。
これはこれで大いに人気を博したようで。


先の木久扇師匠は、似てるのか似てないのか…微妙なところもあるも、
往年の時代劇スターの物真似をよく披露されますけれど、その中で時代劇ではないながら
多羅尾伴内シリーズの片岡千恵蔵の真似もこれまたよくやっていたような。


「あるときは多羅尾伴内、あるときは新聞記者、あるときは片目の運転手…、しかしてその実体は!」
という、あれです。お聞き覚えのある方もきっとおいでのことでしょう。

(これで気付くのは、探偵・多羅尾伴内が実体ではないということ…)


で、その映画を初めて見たのですけれど、いやあ、これが面白い。
なんつうことのないストーリーなんですけどね。


探偵が出てくることでもあり、状況的にエラリー・クイーンの「神の灯」を思い出させる…

となれば謎解きミステリーと思うところですが、

どうしてそうなったのか、それが分かったのかといったあたりが理詰めで説明されるわけでもなく、
真っ向からミステリーと考えては「あほらしくて見てられん」となること必定ながら、
そうしたことは一切合財措いておいて、片岡千恵蔵が変装の術を駆使して(何せ七つの顔ですから)
神出鬼没を動き回り、また立ち回りもして事件は解決に向かっていくという素朴さ。
その素朴さは愛すべきものと思います。


制作された当時から、その「安い作り」に批評は批判的であったばかりか、
制作会社であった大映の社長さえも腐した発言をしたものですから、

怒ったのは大スター片岡千恵蔵。


大映とは4本作って打ち切りになった多羅尾伴内シリーズは、

その後東映に鞍替えして7本作られたそうな。
(この辺りの経緯はWikipediaに詳しく出ておりますよ)


おそらくは片岡自身も「安い作り」は意識していたものと思いますが、
何も考えずに単純に楽しめる映画こそがその当時の庶民は求めていたのでありましょう。


変装にしても、どう化けても「あれ、片岡千恵蔵よ」とすぐに分かる程度であって、
往々にして化けるのは汚い風体だったりするものですから、大スターのそんな姿にも
くすくす笑いでもって応援したことでしょう、きっと。


ただ変装に関しては、汚い風体のあれこれを演じたのち、
最後になって「しかしてその実体は…」と素に戻ったときに

二枚目ぶりが際立つとの計算があったとか何とか。


とまれ、娯楽作とはこういう映画のことでしょうかね。
そりゃ、突っ込みどころは満載ながら、何度も見ても楽しめそうな気もしますし。


いやあ、往年の映画、侮りがたしでありますね。
何も日本の映画に限ったことではないように思いますが。



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