暑い夏はともするとだらけがちで…。
何をするともなしにだらだらとTVを見たりしてしまうわけですが、
たまたま鉄道旅行の旅番組を見ておりますと、スペインのあちらこちらを訪ね歩くものでありました。
さすれば、当然のようにタブラオ(フラメンコ酒場とでも申しますか)が紹介されるのでして、
「ああ、そういえば…」と思い出すのが、添乗でスペインへ行ったときのこと。
確かグラナダとマドリッドでフラメンコを見るように組み込まれていたっけと。
一度のツアーで2回もフラメンコ鑑賞が入っていたのは、
それだけスペインとフラメンコが切っても切れない関係にあるということはもとより
両者の毛色が異なるものであったからでありますね。
グラナダで訪ねたのはサクロモンテの丘ではなかったかと思いますが、
2mくらい(とは大げさですが)も胴体がありそうなジプシー系のおばさんが
慣れた観光客あしらいで笑いを取ったりするものであったような。
それに比べてマドリッドのタブラオでは
芸術の域に達したフラメンコを披露する場でもあったろうかと。
ともすると、グラナダの方は(こういっては何ですが)お笑い芸人か…てな気にもなるところながら、
見る側にとっての楽しみはむしろこちらの方が優っていたようです。
スペインとくればフラメンコだから見てはみたいけれど、
本格的にフラメンコに興味があるわけでないとなれば、さくっとさわりに触れればいい。
そういう嗜好には前者が合っていたのやもしれませんですね。
と、またしても前置きの思い出話が長くなりましたですが、
やおらフラメンコの話になりましたのは映画「フラメンコ・フラメンコ」を見たからなのでして。
さまざまな演者が次々に現れて、フラメンコの「今」を見せるドキュメンタリーでありました。
ひと口に「フラメンコ」と言ったときに、「踊り」ということが思い浮かびますですが、
実のところは「踊り」と「歌」、それに伴う「演奏」(単に伴奏とは言えないことも)の
三位一体であるようで、ときには「踊り」が欠けたり、「歌」が無かったり…というのも
バリエーションとしてはあるようです。
映画の中では、そうしたさまざまなバリエーションが紹介されますけれど、
「フラメンコ」という枠の内にいたいのか、むしろ飛び出してしまっているのではないの?というものも。
とまれ、「総合芸術」であるなということには改めて思いを致すところではあります。
ヒターノ(女性はヒターナ、フランス語だとジタンですね)と呼ばれる人たちが諸国遍歴をしてきた中で、
またスペインの歴史を見れば分かる諸文化の興亡があって、
フラメンコという総合芸術が出来上がっていったのでしょうけれど、
いろんな部分にいろんなオリジンがあるようにも聞くところなのですね。
そうしたことがあるからかもですが、映画でさまざなフラメンコをたんと見ているうちに、
「カンテ」(フラメンコの歌のことですね)に聴かれる微妙な抑揚は日本の民謡などに通ずるものがあるやに思われてきました。
また「バイレ」(踊りのことです)の要素である「サパティアード」(靴で床を踏み鳴らすリズム)は
和太鼓の刻みと近いんではないかとも。
後者の方はもはや妄想?かもしれませんですが、古今東西にさまざまな文化があるものの、
その奥底で人たるものの琴線を震わすのは同じような要素なのかもしれません。
ともすると、伝播の過程での変容が著しく、もはやつながりを意識できないものもあるにせよ。
何だかんだと言っているものの、特に「フラメンコ」に興味があったわけではないのでして、
そうではありながら映画「フラメンコ・フラメンコ」を見ているうちに、
こりゃあまたタブラオで本物を鑑賞したいものだねと思うようになっていたという。
となれば早速!となりそうですが、
以前添乗で行ったのは9月でしたがスペインの暑さは容赦のないものであったなと。
とても夏場に行くところではないなと思いますので、定年にでも達しないと機会はないかも。
それまでは東京のどこかにあるであろうタブラオ的なショーで繋ぐとしましょかね…。