差し当たり両親はご機嫌麗しく過ごしておりましたので、

早速に「ぶらり五霞関宿紀行」へと(勝手に)ご案内申し上げようかと。


このほどまず訪ねたのは五霞町というところでありまして、
Google mapから切り出した地図では中央やや上に「五霞町」という記載が見えましょう。


五霞町は何県?


で、左上から右下にかけて流れ下る大きめな川筋が利根川、
その途中(354号線と表示のある辺り)から分流しているのが江戸川。
ここで利根川と江戸川に挟まれている細長い土地が、
要するにチーバくん の長い鼻の部分にあたるわけで、ここらは千葉県です。


利根川の向こう側(北東側)一帯は茨城県ですけれど、
地図では中央やや下側がに幸手市と記載があって、これは埼玉県。

という周囲状況の中にあって、五霞町は正式には茨城県猿島郡五霞町なのですなあ。
茨城県のメインランドとは利根川に隔てられて、国道新4号線が渡る橋一本での繋がっているきり。

飛び地なようなふうでもありますよ。


町内に鉄道駅は無く、遠出にあたっては東武日光線(幸手市役所の西側を南北に走る)か、
画面で一番西側を通るJR東北本線(間の直線は東北新幹線で近くに駅はない)を
利用するしかないという。


公共交通としては、東武日光線の幸手駅と五霞町役場を結ぶバス路線と
同じ東武日光線の南栗橋駅発着で町内を廻るコミュニティバスしかないのですね。


しかしまあ、こんなところに何だって茨城県の飛び地(のような町)があるのかと思うわけですが、
これはあくまで今考えればということで。


五霞町の西側の境界線として、
川のようながら途中で断ち切れて見える細長い池だか湖だかがありますですね。
権現堂川とも言われたようですが、いっときはこれが利根川の本流として
江戸湾(東京湾)へと流れくだっていたこともあったのだそうです。


利根川は元々江戸湾に注ぐ川であったのを、取り分け家康が関東に入って以降

江戸市中の洪水緩和のためもあり、流路を変える大工事を繰り返した結果、

今のように銚子で太平洋に注ぐ川となったのでありますが、
権現堂川といわれる流れが大きな本流であったと考えるならば

(つまり町の北側の流路が開削されていなければ?)
ここが茨城県(常陸国)と言われても「なるほど」と思えたのではなかろうかとも。


そんな経緯はともかくも、今やメインランド茨城とは利根川に隔てられ、
生活圏としては西側、南側に接した埼玉県とのシンパシーが強い意識にもなっているのか、
かつて平成の大合併てなことがあった時期には、茨城県の町が埼玉県の市と合併か?!と
少々話題をさらったそうな。


結果としては、今でも茨城県猿島郡五霞町ですけれど、
これは西側の埼玉県久喜市と一緒になるか、南側の埼玉県幸手市と結ぶかで
花いちもんめみたいな事態が出来し、ご破算になった由。


とまあ、長々とした説明に終始してしまったですが、
ちと記憶に留めておいてほしいのが「利根川は人工的に流路を変えられた」ということ。
これは中間テストにでますよ!…ではなくて、後にまた触れることにもなりましょうから。


さて、そんな五霞町へは東武日光線の南栗橋駅から

コミュニティバス「ごかりん号」に乗って行くというアプローチをとりました。


五霞町コミュニティバス「ごかりん号」


五霞町にとって数少ない公共の足ですが、

「試験運行中」となっているということは乗車実績によっては継続は危うい?

乗ったときには他に3~4人の乗客がいたように思いますが、その運命や如何に…。


とまれ、その「ごかりん号」で差し当たり「道の駅ごか」を目指すことに。

先に触れましたように、そこで茨城名産「干し納豆」 を買ったりしたわけでありまして。

未だ旅の目的の何たるかが詳らかになっておりませんですが、

やがて徐々にその方向へ…ということで。