六本木で数多開催されている展覧会で「行ったのはそれ?!」と思われるやもですが、
元々はしごで見て廻れる時間がなさそうなときでもあり、

それなら閉幕日の近いものをと思うわけでして。


まあ、さほどに言い訳めいたことを言う必要もないところながら、

見てきたものはといえば、21_21 Design Sightで終了間近い「単位」展でありました。


単位展@21_21 Design Sight


どうやら子どもにも分かりやすく「単位」なるものを感覚でつかまえてもらおうということで
大掛かりとまではいえないものの、仕掛けの数々が親子連れに人気!てな感じ。
小さな子はともかくも、平日なのに「学校、行ってなくていいの?」くらいの子どももいたような…。


それはともかくとしてですが、
まずこの展覧会では「単位」をこんなふうに定義しておりましたですよ。

そのままでは捉えにくい世界に一定の基準を設けることによって、比較や共有を可能にした知恵と思考の道具

「そのままでは捉えにくい」ものとしては、
空気、水、モノ、光、音、自然環境…といったものが例示されてましたですが、
もそっと「単位のはたらき」を分かりやすく言いますと、こうしたことが挙げられるようです。

  • はかる
  • 共有する
  • 規格化する
  • 比べる
  • 計算する
  • 変換する

こうした「単位のはたらき」に目を留めますと、

それなくしては如何ともしがたい状況がごくごく身近なところでも発生することになるなと

改めて思うわけですね。


先ほども触れましたように

いろいろと工夫を凝らされた体験型の展示があったりするものですから、
その傍らにひっそり展示されていたの「メートル原器」というもの。


白金とイリジウムの合金でできており、摂氏0℃のときに基準となる「1m」をしめしているそうな。
そもそも1799年のフランスで「世界共通で使える長さの単位」を目指し、
北極点から赤道までの距離の1000万分の一の長さをもって製作されたとのことでありますよ。


もっとも現在の「1m」は、より厳密にということなのでしょうか、
「光が2億9979万2458分の1秒、真空を進む距離」とされているようですが、
どうも一般人にはつかみどころのない距離になってしまっているような。


ところで、これまた学校に通った時期の違いで情報、知識にズレを生じるというか、
(例えば、鎌倉幕府成立は1192年とは言い切れないことだとか…)
そういうことにここでも突き当たったのでありまして。


一般に液体の量を表すときに用いている「リットル」ですけれど、
個人的にそうした単位を使った学習をしていた頃には
もっぱら「ℓ」と筆記体の「L(エル)」で書いてましたですね。

が、これがどうやら国際的なルールと異なるという理由で、
今では筆記体は使用せず、「l(小文字のエル)」か「L(大文字のエル)」のいずれかを
使うことになっているのだそうですありますよ(今日の今日まで知りませんでした)。


さて、昔々に理科などで習ったような単位を思い出す状況ともなってきたところで、
「メートル」とか「リットル」とか日常的に馴染みのある単位ではないものもまた、

当然に展示に登場するわけでして。


ひとつには「N(ニュートン)」というもの。
重力がらみの「力」を表す単位なのでしょうけれど(まいど、この辺りはうまく説明できませんが)、

例として300gのリンゴを1個手に乗せたときには3Nほどの重さ(地球の重力に引っ張られる力)を

感じているのだ…てなことを言われると、何とはなし、重力を感じるというか、

意識することにはなってきますですね。


また、熱や運動の単位とされる「J(ジュール)」というのも、習ったことがあるなあと。
定義として、1Jは「1Nの力がその力の方向に物体を1m動かすときのエネルギー」だそうで。


熱を表すという点では、食品表示によく使われる「Kcal」という単位もありますけれど、
これらは置き換えが可能なわけでして、例えばラーメン1杯の熱量約450Kcalは

約1,900KJと言い換えることができる。


先の「リットル」の話ではありませんけれど、
世界での熱量表示はどうやら「J」で表すようになってきているそうですので、
「大人が一日に摂取するのは○○ジュールくらいが適当でしょう」みたいな言い方を
今後はするようになるのかもしれませんですよ。
台風の勢力を昔はミリバールと言っていたのが、いつのまにかヘクトパスカルに代わったように。


と、いささか堅い話が続きましたですが、

「これもまた単位といえば単位か…」みたいな展示の話を。
まずは数量というより目で見て分かるためのもの。言ってみれば「嵩(かさ)」でありますね。


「嵩張り方」は目で見た方が…


ここに並んでいるのは、製本する際の「嵩」の見本。
版型、頁数などの違いによって、仕上がった際の「嵩」のはり具合を視覚的につかもうというもの。
これはなんらか数値的な表現方法があるのかどうかですが、あったとしても
こうした見本を目の当たりにして「こんな感じかぁ」とイメージするのが最適でしょう、きっと。


年がら年寿 一覧表


お次は全く違って年齢に関する「単位」というかどうか。
60歳で「還暦」、70歳で「古希」、80歳で「傘寿」…といった言い方をしますですが、
この表に「年がら年寿」とあるように、実は全ての年齢に「何とか寿」というのがあるのだそうですよ。
(百何十歳まで生きる人に対応できるのかは分かりませんけれど…)


ご覧いただいている中には、なんと「0歳」から始まって
「59歳」までの「何とか寿」(裏面には60歳以上の分)が記されており、
20歳なら「巻寿」、35歳なら「閨寿」、48歳なら「貝寿」…てなことが分かります。


しかも何故その文字を当てるかの解説まで付いていますけれど、
8歳の「乙寿」がなぜ「乙」とか言えば、「九」引く「ノ(一の意でしょう)」で
「八」は「乙」てな具合。江戸期の判じ絵のようですなあ。


最後にもうひとつですが、お金の単位を。
ただ「円」とか「ドル」とか「ユーロ」とか言っても、あまり面白みのないところですので、
ここで見られたのは超インフレ時に使われたお札でありました。


ワイマール共和国1923年発行の5千万マルク札


1923年にワイマール共和国(ドイツ)で発行されたものですけれど、
第1次大戦敗戦後の混乱に、世界恐慌の波が押し寄せた結果なのでしょう、
5千万マルク札でありますよ。


お金がたくさんあって、5千万マルクという額になることはあることながら、
1枚で5千万マルクの価値がある紙幣とは!
その額が1枚のお札で賄わないとならないくらいに貨幣価値が下落してしまったわけですなあ。


コンビニに買い物に行って缶コーヒーでも買おうものなら

「5千万円札からお預かりします」(言い回しの良し悪しはともかくとして)てなことが
全く起こりえないとは言い切れない…のかもですが…。


ということで、あれやこれやの単位の数々、面白く眺めてきた展覧会の帰り、
何やら新たな「単位」がこれからも生み出される可能性は多々ありそうだな…てなことを
考えておりました。