2014-15シーズン最後のMETライブ
を見てきたのですね。
演目はマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」&レオンカヴァッロ「道化師」という
ヴェリズモ・オペラの2本立てでありました。
「ヴェリズモ(Verismo)」とはざっくり言って「リアリズム」ということになりましょうけれど、
そうした思潮でもって描かれるオペラは、どうもはっきり言って「身も蓋もない話…」であるような。
恋人トゥリッドゥが(今では人妻となっている)元カノのローラとどうやらよろしくやっているらしいと
察知したサントゥッツァはローラの亭主アルフィオに告げ口したところ、
トゥリッドゥとアルフィオは決闘することに。
結果、トゥリッドゥは命を落とし、サントゥッツァは悔悟の念で嘆き悲しむ…(幕)。
とまあ、やっぱり身も蓋もない話で、劇的に背景が革命下であるとか戦時であるとか、
恋人どうしも家同士のしがらみが合ってどうのとか、そうしたことは全くなし。
要するにまるのまんま「今度のコロシ、動機は何ですかね?」、
「こりゃあ、痴情のもつれだな」という具合。
より卑近なところという点では「リアリズム」なんでしょうけれどねえ。
ですが、これだけの話である「カヴァレリア・ルスティカーナ」を
見る際に肝心なのは音楽であったのだなと。
指揮者のファビオ・ルイージが幕間のインタビューで言っていたように、
劇中での事件がどれほど卑小であっても、それに臨む人の心の波立ちはあるわけで、
これと音楽との絡みこそが見所というか、聴き所でもあるような。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」といえば、
何をおいても間奏曲の甘美なメロディーが浮かぶところですけれど、
それだけではない聴きどころを押さえるとするなら、
ストーリーの表向きに惑わされない(?)オペラ通好みの演目なのかもしれませんですね。
その点、初めて見た「道化師」も、
浮気にいきり立った亭主が奥さんとその愛人を刺してしまう…といえば、
なんだおんなじじゃんと思うところながら、こちらはいささか凝っている。
亭主がどさまわり劇団の座長兼道化師でありまして、
客を集めて見せる出し物が、寝取られ亭主を笑い飛ばすという実に皮肉な内容なのですな。
本来であれば、だまされている亭主を道化て大いに笑いをとるところながら、
一緒に舞台に立つ奥さんを見て、もはや虚実はない交ぜとなり、ナイフを持ち出してしまうという。
劇中劇という入れ子の構造をうまく使った分、
「カヴァレリア・ルスティカーナ」よりも得心が行きやすいといいますか。
どちらの作品も一作のオペラとしては短い70~80分程度の作品で、
例えば「名探偵コナン
」に出てくるような殺人犯の犯行に
「そのくらいのことで、人を殺してしまうものかな…」とが思うと同様な
動機、背景の浅さ(つまりは描ききれてない、説明しきれてない)が気になるところながら、
「道化師」の場合は、舞台での公私混濁を通じて感情が激してしまうさまで
何とかカバーできているように思えるからですね。
また、そもそも「道化師」という存在には
そのそと面とは違う悲嘆の一面が潜んでいるや思えるものですし、
道化師のイタリア語パリアッチョ(Pagliaccio)として出てくるのは亭主ひとりながら、
オペラの原題「パリアッチ(Pagliacci)」は道化師の複数形ですから、亭主を取り巻く誰も彼も、
はたまた笑ったり泣いたりしながら見ている、そこのあなたも、そっちのあなたも
実のところは一介の道化師に過ぎないのではありませんか…と暗示しているが如し。
ということで、音楽的なところでいうと、もしかしたら「カヴァレリア…」に分があるのかもですが、
この2本立てはたいがい「道化師」が後に来るものとして仕立てられていることからしても、
やっぱりいささかの深みの点で「道化師」が優っているのではなかろうかと。
なんでも本来的には直接の関わりがあるでないこの2作を同時上演の2本立てとしたのは
1893年のメトロポリタン歌劇場公演が初めてなのだとか。
おそらくはその最初から順序は「道化師」が後だったと思いますが、
話の作りにいささかの深みで優る分、やっぱり「道化師」で締めるのが
据わりがいいてなことなのでありましょうね。