藤村記念館 での音楽会を聴き、また鳥もつ煮 を食して過ごした甲府の夜は明けて、
今度は帰りしなの立ち寄り地点への移動に掛かります。
甲府で乗り込んだ中央本線の列車を下車したのは「勝沼ぶどう郷」駅でありました。


旧勝沼駅プラットフォーム


勝沼にも何度か来てはいるものの、そのたびに駅からちょっと先に見える「ぶどうの丘」なる施設で
食事をし、温泉に入り、ワインの試飲をし、土産を買って帰るというぐあいに、
安直にも一箇所完結で過ごしてしまったものですから、
勝沼の町なかにはいっかな踏み込んだことがない。

そこで、今回はいっそのこと「ぶどうの丘」抜きの勝沼巡りを目論んだと、こういう次第なのでして。


ところで上の写真ですが、実のところ、

現在使われているプラットフォーム(以下、面倒なのでホームという)ではないのですね。
だいたい駅名が「かつぬま」でなくって、今や「かつぬまぶどうきょう」になってますし、
お隣の「はじかの」も今では「かいやまと」に変わっている。


中央本線は上の方を走る


現在、中央本線の線路はもそっと上の方にあって、1968年(昭和43年)の複線化で敷かれたもの。
こちらは単線だったころのホームなのだということです。
ちょっとした鉄道遺産なわけですね。


EF64形電気機関車@勝沼ぶどう郷駅


そうした絡みでもありましょうか、
ちょっと離れたところにはEF64形電気機関車が展示されておりまして、
何でも中央本線が単線だった頃から活躍していた機関車だそうで、
勝沼ではさぞかしたくさんのぶどうを積んだりもしたのではなかろうかと。
引退までには地球70周分くらいを走ったそうですから、ご苦労さま!ですなぁ。


と、電気機関車を通り過ぎて、線路沿いにさらに東京方面へと進んでいきますと、
このような通路に行き当たります。


大日影トンネル遊歩道への道


「大日影トンネル遊歩道」という看板が見えますように、
先ほどの旧ホームを上回る鉄道遺産がこの先に…出ました!大日影トンネルであります。


新旧揃い踏みの大日影トンネル


左側は現在使われている新大日影トンネルで、コンクリートでがっちり固まってる感ありですが、
右側の旧大日影トンネルは1903年(明治36年)のレンガ造り。

それまで八王子止まりだった中央本線を甲府まで延伸する計画の一環で造られ、

なんと1997年まで使われていたという。これまた電気機関車以上に、ご苦労さま!です。


ちなみに先に読んでいた根津嘉一郎 の生涯を描く「東武王国」の中には
中央本線の延伸に関して、こんな部分が出てきました。

中央線は、明治二十二年に東京・飯田町から八王子まで開通したが、山梨県民の願いは、それを甲府まで延長させることだった。その敷設工事は二十九年に着工し、七年間を要した。山峡に掘ったトンネルは、全長四千六百五十六メートルの笹子トンネルを始め四十二か所に及んだ。この日、開通の喜びは「全県下に雷の如く響き渡り、陸蒸気を見んものと押し寄せるもの二十万人」と報じられた。

掘ったトンネルが42個所。

そのうちのひとつが、この大日影トンネルということになりますですね。
さすがに笹子ほどに長大ではないものの、こちらの全長は1,367.80m。


で、それがそのまんま、今は遊歩道になっておりまして、
「平均歩行時間は片道30分のため時間を確認のうえ利用してください」などと注意書きが出ていたり。


ここまでくれば当然にして、このトンネル遊歩道を踏破するつもりでいるわけですが、
幸いにもカーブしていないので、前後に入口出口の明かりが見えているのはなんともほっとするところです。


遥か先の出口に光が!


途中途中の待避所には、工事や勝沼に関係する解説ボードが掲示されているのはいいとして、
オブジェが飾られているところは、トンネル内のひんやりした空気と相俟って、

ちとどきりとさせられますね。


トンネル内待避所に設けられた解説ボード トンネル内待避所にレイアウトされたオブジェ


そうこうしながらおよそ30分弱の後、ついに反対側に到達。
再びまみえたお日様の光に眩惑されそうですが、たどり着いて何よりなにより。


大日影トンネル遊歩道出入口(東京寄り)


ですが、一端は日の目を見たものの、

従来の鉄道はすぐに再び深沢トンネルというのに突入していったという。
こちらの深沢トンネルの方は、今ではワインカーヴとして使われているというのですから、
何とも勝沼らしいではありませんか。


トンネルワインカーヴ(旧深沢トンネル)


すぐ脇にある事務所にひと声掛けて中を覗かせてもらったですが、

長い長いうなぎの寝床状のトンネル内の左右壁面に沿って、ずらりラックが並んでいる。

貯蔵庫としては個人利用も可とのことですけれど、どんな人が利用してるんでしょう…。


さて、勝沼のかような鉄道遺産を抜けてみればそこは山の中であるわけですが、
ここからは人里へと抜けて行き、勝沼の歴史探訪へと向かうのでありました。