藤村記念館 を訪ねた後、山梨県立美術館に向かうまでのもうひとつの立ち寄り先。
それは山梨県庁別館でありました。


山梨県庁舎別館


1930年(昭和5年)建設という、かつての本庁舎である別館の2階に

「山梨近代人物館」なる資料館がオープンしたのはなんとこの4月2日といいますから、

出来立てのほやほやでありますね。


「甲州財閥と近代日本を築いた甲州人」@山梨近代人物館


オープン記念の第1回展示は「甲州財閥と近代日本を築いた甲州人」というタイトル。
根津記念館 のところで、根津嘉一郎は

財閥系に対抗した独立独歩の人であったてなことを言いましたですが、
明治期にそういう独立独歩の活躍をした甲州出の実業人が多々おり、

同郷の人脈は確かにあって、それを称して「甲州財閥」とも言ったそうなのですね。


されど、上のフライヤーを見ても

すぐにピンとくるような人物はいないのではないかと思うところでして、
ちなみに4人並んだうちの一番左が根津嘉一郎、

一番右が最も有名であろうと思われる小林一三。
阪急電鉄を創業し、宝塚歌劇団を立ち上げた人物とは言わでもがなかも。


ちなみに根津の右隣が甲州財閥では最も先輩格かと思しき若尾逸平で、

投資家の側面が強いようにも思われますが、株の売買で身を立て始めた若い頃の根津に

「あかり」と「乗り物」の将来性を教えた人物でもあるという。


後に株で大失敗をしてから根津は実業に目を向けますけれど、

そこでも東京電燈と東武鉄道という若尾の教えを活かした動きを見せているのではないかと。


単に結果なのかもしれませんが、

甲州財閥の面々には取り分け鉄道関連事業と関わりの深い人が多い。
例えば、根津(東武のほかに南海に合併されるまでの高野山電気鉄道なども)や
小林のほかにも、

甲武鉄道(現・JR中央線)の経営に携わった雨宮敬次郎(上のフライヤーの右から2番目)、
富士身延鉄道(現・JR身延線)を創立した小野金六、

東京地下鉄道(現・東京メトロ)を創った早川徳次、
富士山麓電鉄(現・富士急行)を創設した堀内良平(「富士五湖」の命名者でもあるそうな)などなど、
なかなかに多士済々ではありませんか。


他にもまだまだいろいろと展示解説はされていたものの、
いささか地元の手前味噌的なもののあるんでないのと思ったりしたのが、
日本郵便制度の創設者と紹介されていた杉浦譲でありましょうか。


日本の郵便制度といえば、すぐさま前島密と出てきますし、
今でも1円切手にその肖像が使われていることから、顔まで容易に思い浮かべられるという。

ですが、改めてWikipedia「日本の郵便の歴史」の項を見てみれば、
このような記載が目に止まってびっくらこいたりするのですよね。

明治3年(1870年)5月に駅逓権正となった前島密は、太政官に郵便制度創設を建議した。しかし、同年6月に前島が上野大蔵大丞に差添し渡英したことから、郵便制度創設は駅逓権正の杉浦譲と各地の官史に引き継がれた。

その後、帰国後の前島は郵便制度の確立に奔走するようですから、

全てが杉浦譲によるとは言わないまでも、逆に全てが前島によってなされたわけでもない

ということを初めて知りましたですよ。


ま、この辺は甲州財閥とはまた別に郷土の功績ある人物ということになりますが、
もう少し有名になってもいいのかなと思うのが建築家の内藤多仲という人。
東京タワーの設計者で、「塔博士」の異名をとるようにたくさんの塔を建てた人であるようで。


名古屋のテレビ塔、二代目通天閣、札幌のテレビ塔などを建て、
塔以外では千住のおばけ煙突や早稲田大学大隈講堂なんかが内藤作品なのだそうです。


ところでこうした人物紹介コーナーの奥には、

この資料館の器である山梨県庁別館がかつての本庁舎であったことから
旧知事室も見て廻れるようになっておりました。


山梨県庁旧知事室


先に見た藤村記念館が擬洋風建築で、

どっしりしているようでも実際には壁は漆喰だったりするわけですが、
こちらは昭和初期に作られただけ、さすがに中から見ても重厚さに違いがありますですね。


山梨県庁旧知事室のカーペットはぶどうブドウ模様


細かいところに目を向ければ、旧知事室の床に敷かれたカーペット、
ここにもぶどうが登場しているとはいかにも山梨県ですなあ。


と、ひと周り見たところで、

いよいよ山梨県立美術館に向かうべくバス停へと歩を進めたのでありました。