なんだかちょこちょこ東京駅 の話が登場してしまってますが、
これも開業100年と旬の間だけですね、そのうち企画ものも終わりましょうし。
その前に旧新橋停車場鉄道歴史展示室に通りすがってみれば、
「東京駅開業とその時代」という企画展をやっているところ、
やっぱり覗いてしまいますですね。


「東京駅開業とその時代」展@旧新橋停車場鉄道歴史展示室


ここで少々目新しいのは開業当時のその時代に焦点を当てていることでしょうか。
東京駅の開業は大正3年(1914年)の12月ですけれど、
この展示会場になっている旧新橋停車場は、東京駅開業の当日、
新橋駅から汐留駅と名称が変更されると同時に、貨物専用駅となったということです。


汐留駅がどん詰まりであった代わりに、横浜、品川から続くレールは東京駅に結ばれ、
その途中にあった烏森駅が現在に至る新橋駅としてやはり同日新装開業したそうな。
新・新橋駅の開業にあたっては新橋芸者が大勢繰り出して接待にあたったとは、
時代を感じさせますですなあ。


一方で、東京駅の開業は(新橋芸者連に失礼ですが)これとは比較にならないくらい
盛大に行われた模様で「駅前には…大小四個の緑門(アーチ)を建て、独墺を除く
万国旗が縦横に吊られた」てなことを書いた当時の新聞記事も展示されとりました。


祝賀会は主催者代表挨拶を渋沢男(爵)が務めたそうで。

事前の内覧会に参加したレポート記事なんてのも展示されてたですが、
こちらはこちらで絢爛豪華な様子に驚きをもって報じておりましたですよ。


ちなみにこれまで東京駅関連の話で書かなかったのでここで書きますが、
開業当時の東京駅は北ドームと南ドームとが降車客専用、乗車客専用と役割分担されていたそうで。
まなじ南北に長い駅なだけに行き先によっては不便だったろうと思いますが、
これも今から思えばということでしょうかね。


ところで、上にちと引用した記事の中に「独墺を除く万国旗」とありましたですね。
「その時代」という点では、東京駅が開業した1914年は7月に第一次世界大戦が始まっていて、
日本は連合国側として、中国におけるドイツの権益拠点・青島(だから、ビールで有名なんですな)の
攻略作戦などに加わっていたものですから、万国旗は敵国たる独墺の旗抜きということに。
これも世相でありますね。


そうした目でもって、東京駅開業当時を描いた錦絵を見てみるとなんとも軍服姿が多いなという印象。
これが1921年に描かれた錦絵となると、必ずしも軍服が多いとは思えませんので、
1914年の方は所謂戦時色が感じられた時代だったのでしょう。


展示には1915年の「鉄道院所管路線図」というものもありましたですが、
日本の鉄道院所管として、台湾の縦断路線、朝鮮半島や遼東半島などの路線も描かれ、
これはこれで軍靴の通り道といった印象もありましたですよ。


また、年代的には東京駅開業前にはなりますが1912年の絵本、これもまた世相の反映といいますか。
題名は「家庭絵ずくし 汽車と電車」で、昔も今も鉄道好きの子どもがいたのだろうと
一瞬、微笑ましく思うところながら、新橋から神戸へと家族で汽車旅をストーリーの中に
このような文章が出て来たのですね。

汽車や電車は…みんな発明の利器でありますから、皆さんもそれぞれ勉強してこれ以上の大発明をなさるように願います。

未だ「少国民」といった呼び方は無かったものと思いますが、
それでも子供の頃から「国のため」とか「国の役に立つよう」とか教え込まれていったのかと
想像してしまうところでもありました。


ですが、これを書きながらふと思ってしまったのは、
もしかするとここに書いたことは個人的な思い込みを元にした思考誘導的な物言いだったかもと。


今でも語り口調こそ違え、絵本や図鑑なんかで
「素晴らしい発明ですね。皆さんも頑張って便利なものを発明してくださいね」的な表現は
あるかもしれない…と思いついたものですから。


それでもあれやこれやの断片をパッチワークしてみて想像されるもの、
それはやっぱり、すでにして第二次世界大戦へと向かっていく幽かな足音でしょうか。
その足音が大きくなることとこの後の時の流れは歩調を一つにしていたようにも思えますし。


穿ち過ぎと思うかどうかは見る者それぞれの印象になりましょうけれど、
時代の空気というものが感じられる展示であったとは思いましたですよ。