「こりゃあ、アマチュアのオーケストラがやりたくなるだろうねぇ、やっぱり」

読響の演奏会で、マーラーの「巨人」を聴いて来たですが、

なにしろ鳴りっぷりのいい曲でありますからねえ。


読売日本交響楽団第170回東京芸術劇場マチネーシリーズ


終楽章も終わり近く、金管の咆哮が続くところでは、

やおらホルン8本が立ち上がってのスタンド・プレイ。

アマ・オケ(というより、むしろブラスバンド)でありがちな、こうした演出を見たものですから、

尚のこと、冒頭のような感想につながったのでありましょう。


しかしながらこの曲、

マーラーの交響曲の中でも演奏時間的には短い方ながら、

それでも50分を超える長さがある。


それだけに管楽器の華々しい活躍(古典的な曲には極めて少ない)の場が

断続的に現れる点では多分に息切れの危険があり、

一番盛り上げるべき最後の最後まで持たない恐れがありますね。


また、鳴りっぷりのいい栄える曲ながら、

マーラーの「メロディーの繋ぎの自在さ」は、曲全体のまとまりを考えるとき、

ひどく演奏が困難なものであろうとも思うわけで、

裏を返せば聴く側にも破綻と受け取りやすいものではなかろうかと。


プロ・オケの読響でさえ、そうした危うさが全くなかったとは言い切れないでしょうから、

アマチュア・オーケストラとしては挑戦したくなるもの、難しかろうなぁと思うのでして、

折しも秋から冬にかけて、アマチュア音楽家の方々にとっての演奏会シーズンにあたり、

もしもマーラーの「巨人」を取り上げる団体があるとしたら、健闘を祈る!と申し上げたいところです。

差し当たり読響は、その底力を見せつける形で乗り切ったですが。


ところで、今回の演奏会の会場であった東京芸術劇場の、ホールのフロアにあるギャラリーでは

「南仏の太陽~ロジェ・ボナフェ展」が開かれておりました。


画廊が主催ですので、展覧会というよりは展示即売会的なものでもあったろうかと思いますが、

そこへ演奏会が始まるまでのつなぎで入り込まれたのは「たまらんなあ」が本音でしょうけれど、

ともかく覗かせていただいたわけです。


80歳を過ぎているとはいえ、現役で作品を制作しているとなれば、

徒に画像を引っぱって来るのは避けておきますけれど、

画面いっぱいに赤、青、黄が鮮やかに塗り込められたその作品は

相当に目を惹くところではなかろうかと。


もしもベルナール・ビュフェが心を病んでいなかったら、

こんな絵を描いたのかも…と思ったりしたですが、

屈託のない画面を仕立て上げるのはひとえにロジェ・ボナフェの個性であって、

また影響しているとすれば、南仏の太陽、海、大地を素直に受け止めているからでありましょう。


赤、青、黄と言いましたけれど、個人的には「青」に注目したのでありますよ。

空の青、そしてそれ以上に海の青ですけれど、

穏やかな地中海(南仏ですものね)のひろがりを描いて、

静かながらも決して動きを止めることのない海が、塗り込められた青の微妙な違いで

あたかも小波をたてたり、うねりを見せたりしているかのように見えてくる不思議がありました。


その絵を掛けておけば、まるで地中海を見晴らす窓がそこに穿たれているかのよう。

「こんな絵を飾っておけたらな…」とまでは思うものの、庶民としてはそこまで。

清水の舞台から飛び降りたつもりになれば買えないではありませんけれど、

少なくとも衝動買いの範疇は明らかに逸脱しているでしょうから。


そんなことを言っていると、

運命の出会い(今回がそうだとまでは言いませんが)を逃してしまうやも…ですが、

おそらく運命の出会いにはまた違う反応があるのかなとも思ったりしたものでありますよ。


とはいえ、ロジェ・ボナフェという画家の作品、

接するのは初めてでしたけれど、かなり印象的で(また特徴的にも分かりやすく)

記憶に残ることではありましょう。


…と、演奏会も展覧会も印象的な東京芸術劇場の一日でありました。

そうそう、ついでに言うと、やはり同じ東京劇術劇場のシアターイーストで再演されている

「ポリグラフ」ですけれど、以前見て「何とまあ、刺激的な…」と思った芝居。

ひとつの建物の中であれこれと、芸術の秋ですなぁ。