聖アネン博物館
に行くにあたっては、かなり見て廻る時間が必要かも…と
閉館時間までに相当の余裕を見こして出向いたこともあり、
夕方になって少々時間に空きが生じたのですね。
そのままリューベック旧市街をぶらりとするのも良しとは思いましたけれど、
博物館や美術館、はたまた教会の類いまで中途半端に閉まってしまうくらいなら、
リューベック探索は翌日丸一日を当てることに決定し、
また30分弱、列車に揺られてトラヴェミュンデまで行ってみることにしたので
ありますよ。
前提としては、先にホルステン門
まで行ったときに、
門前広場からひとつ通りを隔てたところにあるツーリスト・インフォメーションで
リューベックの旅行者向けパスである「ハッピー・デイ・カード」を購入しており、
リューベック~トラヴェミュンデ間の鉄道はこれで乗れることになっていたわけで。
もっとも、シュヴェリン・チケット
同様に博物館等の入場に当たっては無料でなくて
割引になるというものですので、元取り感がはっきりしない中、
トラヴェミュンデまで往復すると、それだけでも十分みたいなところがありましたから。
でもって、トラヴェミュンデというところですけれど、ドイツ語では「Travemünde」で、
この「münde」の部分、「Mund」が「口(くち)」の意ですので、
リューベックを流れるトラヴェ川、それの「口」、すなわち「河口」ではないかと。
ハンザ貿易で大きな賑わいを見せたリューベックは、いわゆる海に開けた港町ではなくって
河川港なのでして、その海への出口がトラヴェミュンデということに。
要するに、バルト海を見に行こうというわけです。
聖アネン博物館最寄りの停留所からバスで中央駅へ出、
これまた1時間に一本切りの列車にうまく接続もできて、
車内検札が来たら「ハッピー・デイ・カード、見せたるけんね」と
意味もなく意気込んでいたのは、例によって元取り感の点であったかも。
何せ検札に来てくれないと持っていた甲斐がないですものね。
(結局、この区間、往復ともに検札はありませんでした…)
とまれ、ごとごと進んだ列車が終点トラヴェミュンデ・シュトラント駅に到着。
駅を出ますと、これがまあ、たちどころにリゾート気分が漂っているのですよ。
駅前から続く道をまっすぐに進むと程なく海岸に到達、
バルト海が広がっているのでありました。
方向的に海の向こうはデンマークになりましょうか。
訪ねたのは8月23日の土曜日。
北ドイツでもまだ夏休み期間中で、土曜日であるにもかかわらず、
人出はほとんどありませんですね。
かもめの方が多いくらいです。
これは「Strandkorb(シュトラント・コルプ)」というものらしいですが、
日本の海辺で賃貸しのパラソルを広げるような感じで利用するのでしょうけれど、
ずらり並んでいても、さすがに片づけられるのを待っている…そんな面持ち。
まあ、日本でさえ8月下旬は海の賑わいが去る季節でしょうから、
日中の気温が20℃に届くかどうかの北ドイツとなれば、
海水浴のシーズンは過ぎ去ったというべきか。
ただ、ほんの少しですけれど、利用している人はいましたですね。
受付みたいな小屋が立っているので、そこに申し出て料金を支払うと、
鍵を外してくれるのでしょう。
そんな中で、水に浸かってはしゃいでいる小さい女の子、発見!
ですが、海の中はよおく見ると、くらげの天下のようす。
実にたくさん、我が物顔でぷかぷか浮いとりました。
差し当たり刺されたりせずにすんだのでしょうなあ。
よかったね。
浜辺を後にして港の方に向かいますと、大きな帆船パサート号が浮かんでいました。
時間的には閉まってしまってましたが、船内見学もできるということで、
この辺りには結構人出がありましたですねえ。
リューベックから続くトラヴェ川の河口、
文字通りバルト海への玄関口はここなのですけれど、
交易の一大拠点たるリューベックはもはや過去の出来事となって、
トラヴェミュンデは穏やかなのんびりとした空気が流れていましたですよ。
何故かこうしたところにいる、アイスクリームが食べたくなるのでして、
(フィンランドのナーンタリでもそうでしたですが)
売店でひとつ「Solero Exotic」というのを買い求めたですよ。
「Exotic」というだけに、トロピカルなお味!マンゴーだったのかなぁ。
(驚いたことに?後から「Eis Solero」で検索したら、HPが見られました)
ベンチに腰掛けてアイスを食しつつ、ぼんやり海を眺めやる。
忙しくあちこち見て回るのもいいですが、こういうのもいいですな。
そして、ふと気付くと海沿いのプロムナードに
たくさんの国旗が並んで掲揚されているのが目にとまりました。
国の名前が浮かぶものもあれば、そうでないものも。
おそらくはバルト海を囲む国々の国旗ではないかと想像しますけれど、
そうした今ある国々が「国」としての体を成す以前、
(ドイツもドイツ帝国としてまとまるのは1871年ですし)
このバルト海を縦横にハンザ都市の交易船が行き交ったのだなと、思いはそちらの方へ。
さて、リューベックに戻るとしましょうか。