数学者で大道芸人でもあるピーター・フランクルさんの、
新聞連載のコラムで先ごろ書かれていたこと。
「世界的に見ても日本の教育水準はすごく高い」という一方で、
「(母国である)ハンガリーの教育にも優れたところがあった」として、
二つの例を紹介しておりましたですよ。
一つは「口頭試験」という言い方でしたですが、
授業の始めに指名した3人の生徒を黒板の前に立たせ、
与えた課題に関して2~3分の即席スピーチをさせるというもの。
もう一つは、「スポーツでも学問でもさまざまなコンテストがあった」こと。
詩の朗読コンテスト、卓球コンテスト、数学コンテストなどなどなどが、
学校単位、町単位、市単位、あるいはそれ以上の単位で行われているそうな。
前者に関しては「次第に人の前で話すことが上手になった」と振り返り、
後者は興味のあることにさらに取り組む契機になったと考えておられるようで、
コンテスト参加を通じて「たくさんの良い思い出ができた」とか。
「口頭試験」なるものについて、
はっきりした年代が書かれていないので文脈から想像する限りですが、
日本で言えば小・中あたりの学校でということになろうかと。
もし仮に日本の小学校・中学校でこういうことをやったとしたら、
たちどころに保護者からクレームが来たりするのでは…と思いましたですよ。
当然のことながら、人それぞれの中には人前で話すのが苦手という場合もあるわけで、
苦手な子どもを無理やり前に出して何か話せを強要するのは、
受け止め方によっては体罰にも、いじめにも、ハラスメントにも当たると
考えてしまうかもしれないからでありますね。
ですが、苦手なことはもしかしたら練習することによって、
苦手でなくなるかもしれない。
そううまくはいかなくとも苦手感が多少なりとも減るかもしれない。
「次第に人の前で話すことが上手になった」とフランクルさんが体験として言うように。
考えてみると、近頃の日本では子どもに恥をかかせたくないあまり、
(子どもが恥をかくことで親が恥ずかしい思いをしたくないからかも)
かなり周到に予防線をはる傾向があるような気がしないでもないですね。
学校の勉強についていけないとかわいそうだから、早いうちから通信講座をやるとか、
プールの授業で泳げないと恥ずかしいだろうから、水泳教室へ、
音楽の授業で戸惑わないように音楽教室へ、あるいは絵も描けるように絵画教室へ、
突きつめれば将来困らないように(とはいい学校に行って、いい会社に入ることか)、
お受験しておかねば遅れをとる…てなふうなのも、まあ同じようなことかも。
世の中、個性を伸ばす教育なんつう言い方がされますですが、
小さな子どものうちであればなおのこと、たったの数年とか十数年ぐらいのことで
この子の個性はこう(他のはだめだし…)みたいな決めつけって、
返って可能性の芽を摘んだりしないですかね。
その点、いろんな主催単位でいろんなコンテストがあるとすれば、
それぞれのレベルでちょっとでも興味があることにトライできるような。
負けて悔しければ続けるかもしれないし、合わないと思えば別のことにも向かえるし。
…とも思ったりしますが、(お受験みたいなのの反動かもですが)
とかく競争はよろしくないというふうなことが言われることもあろうかと。
ずっと前、幼稚園の運動会だかを見てましたときに、
子どもたちがぐるぐる走り回って、順位をつけるでなく
「みんな、頑張ったねえ!」と言って終わるかけっこにびっくりしたことがありますが…。
とまあ、こうしたあたりのことはいろんな考え方がありましょうから、
誰しも肯んずるところではないかもと思うだけに、
差し当たりここでは別の話に例をもっていきますが、
やはりフランクルさんが数学コンテストに参加するための勉強で
「数学パズル」なる問題集に取り組んでいたときのことであります。
問題集に載っていたのは
「計算力ではなく論理的思考と発想力を必要」とするものということで、
例としてこんな問題が紹介されていましたですよ。
ある猟師が熊を追って、南へ1キロ、東へ1キロ、それから北へ1キロ移動したら元の場所に戻った。さて熊の色は?
「数学パズル」という問題集なのだがいかにも!と思われるところですけれど、
単なる頭の体操のようでいて、あくまで数学コンテストの準備ですから、
彼の地のコンテストにはこうした問題が出題されるということなんでしょう。
ですが、確かに何の計算も必要としていない反面、
確かに頭を捻る問題になってはいますですよね。
何しろ最後の「さて熊の色は?」という問い掛け自体がヒントになっているのですから。
世界中を見渡せば、いろいろな色の熊がいるのかもしれないながら、
前段の条件を満たす場所さえ特定できれば、自ずと熊の色は明らかになるわけです。
では、その条件ですけれど、これは平面で考える限りは
あり得ないと思ってしまって行き詰ってしまうかも。
かといって、多次元みたいな小難しい理屈が出てくるわけでもない。
地球儀を思い浮かべて見ると、たちどころに頭の上に電球がパッと!
猟師が歩き出した地点は、地球上では唯一北極点としか考えようがない。
つまり、北極点から追いかけた熊は当然に白熊であって、答えは「白」であると。
子どもにとって、答えが分からずじまいであったとしても、
それを知ったときの「目からうろこが落ちた感」は生涯記憶されて、
たった一問の問題が「物事を多角的に見ることは大事だぁね」ということを
焼き付けてくれるようにも思ったのでありますよ。
…と翻って、冒頭に引いたフランクルさんの「日本の教育水準はすごく高い」とのひと言、
これはいったい「どのへんが?」と思ったりもしてしまったのでありました。