佐野駅の南口ロータリーの片隅、どうしてこんな目立たないところに?!と思える場所に

「田中正造 生誕の地」碑はありました。


「田中正造 生誕の地」碑@佐野駅


記されているのは「田中正造の生家 佐野市小中町975番地 ここから北西約4Km」とのこと。

足尾鉱毒事件と闘った田中正造、自らを 「下野の百姓なり」と称した人は

今では栃木県佐野市 にあたる下野国安蘇郡小中村で、

天保十二年(1841年)に生まれたのでありました。


足尾鉱毒事件 は昨年足利に行ったときにもちょっとだけ触れましたけれど、

鉱毒が流れ下った渡良瀬川の被害は足利ばかりか、流域一帯、

そして今よりも河川氾濫の多い明治の頃には相当広範囲に

悪影響を及ぼしたものと思われます。


ですが「と思われます」と言ってしまってますように、

足尾鉱毒事件のことをどれほど知っているかと言うと相当に心もとない状態、

今さらではありますけれど、これを機と

入門書(何せ岩波ジュニア新書ですから)に当たってみたのでありますよ。


田中正造 (岩波ジュニア新書 (231))/岩波書店


するとですね(って、普通の人は周知のことかもですが)、

確かに田中正造は足尾鉱毒事件の先頭に立って闘ったものの、

解決することはできなかったのですなぁ。


「鉱毒」(という言葉は企業側では使わないようですが)の元になった足尾銅山での操業は、
何と1973年まで続いていたということなのですから。


元凶を断つには銅山の操業をやめさせるしかないと考えて、

あるときは国会議員として、そして(国会での質疑では埒が明かんと)国会議員を辞してからも

正造は精力的な運動を展開するわけですが、
こうした事実を正造が知ったら、天国で何と思うことでありましょうかね。


では、手立ては何ら講じられなかったのかというと、必ずしもそうではない。
渡良瀬川が利根川に流れ込むちょいと手前、

栃木県と群馬県と茨城県の県境が近接する辺り(埼玉も近い)に
渡良瀬遊水地というものがありますけれど、これが足尾鉱毒対策なのですね。


大きな水溜まりを設けることで、河川氾濫の可能性を排除するとともに、
早い話が鉱毒溜めにもしてしまおうという作戦だったようです。


そのために、今や遊水地に水没させられた土地で農業を営んでいた者たちは
明治政府の手で強制的に転居を強いられたのですけれど、これに対しても正造は闘っています。


遊水地より上流の人たちにとっては

河川氾濫による鉱毒拡散が抑えられると計画に賛成する向きもあり、
それまで一緒に闘ってきた人たちが分断されるということにもなってしまったのだとか。


それにしても渡良瀬遊水地といえば、
ラムサール条約にも登録されて自然の生態系を守る云々の場所と思っていたですが、
Wikipediaには「遊水地の土壌には2010年現在でも銅などの鉱毒物質が多く含まれている」

てなことも書かれておりましたですよ。


田中正造は生涯をかけて闘ったものの、志を果たせぬままに1913年(大正2年)に亡くなります。
生前関わりのある地に分骨されていくつかの墓所がありますけれど、
惣宗寺(佐野厄除け大師) にも墓所のひとつがありました。


田中正造墓所@惣宗寺


こらまた巨大な!と思いましたけれど、こうした造りになっているのが曰くがあるとか。
佐野市教育委員会による説明板から引用しておくとしましょう。

正造分骨地の一つである惣宗寺墓所は、正造翁が生前自然石を酷愛せる事
万人の知悉せるところにより、その心事を採酌し、大正九年六月十一日、自然石を以て正造の精神を敬仰し、その徳風を追慕し、又遺風を後世に長く伝えるため、渡良瀬川流域産出の用材により建設された…

ごつい石だと思ったものは渡良瀬川の自然石を使っていたのでありますねえ。
今回は立ち寄る時間がありませんでしたけれど、
佐野市郷土博物館には田中正造が明治天皇への直訴を企てた姿の像があり、
このたび佐野を訪ねる数日前、天皇・皇后ご夫妻が来られてこの像をご覧になったそうな。


今の天皇制から言えば、一切政治的発言はされないのが天皇ということになりましょうけれど、
なぜ今田中正造と対面したのかを考えるとき、人の手に負えない害毒を流し続けるような愚を

繰り返してはいけないと思っておられたのやも…と思わずにはいられないような。


そうであるとすれば、正造もようやく思いが天朝に達したと感無量かもしれませんが、

これは想像でしかありませんから、せめて後世の者が正造に示す姿勢としては

先頃亡くなられたマヤ・アンジェロウさんの言葉を胸に刻んでおくことかもしれませんですね。

歴史はいかに苦痛に満ちていても、やり直すことはできない。しかし勇気を持って向き合えば、繰り返さずに済む。

…と、いささか真面目に結んだところで、こたびの紀行は終了でございます。

それにしても、旅に出るといろんなものを見聞きして、いろんなことを考えるものでありますよ。