佐野といったらラーメン 」としか言っていなかったですが、
佐野は厄除け大師でも有名でしたですね、たぶん関東では。


ただし、やはり厄除けで知られる川崎大師は真言宗で弘法大師を祀っているのに対して、
こちらは天台宗で元三大師を祀っているのだとか。
神社仏閣系の知識に乏しいものとしては、ややこしいなぁと。


とまれ、佐野のランドマーク(?)でもありますから、

ここはひとつ立ち寄っておこうと思ったわけでありますよ。


佐野厄除け大師

それにしても知名度にそぐわないコンパクトな境内、

そのわりに佐野の他のところでは見られないごちゃっとした人ひと…でありました。


正式名称は春日岡山転法輪院惣宗官寺、

944年の創建とはなかなかのご由緒でありますな。


厄除け大師との呼び名はそれこそ人寄せのキャッチフレーズのようなもので、

(たぶん地元の人だと思いますが)「春日岡と呼ばれ、多くの人から親しまれている」そうな。


足利の鑁阿寺 (ばんなじ)を「大日さま」、静岡浅間神社 を「おせんげんさん」と

親しみを込めて呼び習わすのと同じだとは思うんですが、

どうも「春日岡」とは呼び捨て感が強い気がしますですねえ。


ところで、地名として本当の春日岡は佐野駅北側に広がる城山公園(佐野城址)だそうで、

1600年に当地の領主であった佐野信吉がもそっと北方の山上にあった城(唐沢山城)を

市街近くに移してくるために、お寺さんは現在の場所に退いたという次第からすると、

もしかして「春日岡」の呼び捨て感にはいささかの恨みめいたことがあったり…しないですよね。


ちなみに1600年とは関ヶ原合戦の年でありますが、

佐野信吉は東軍、徳川方について所領を安堵されるものの、

信吉の「吉」の字は、豊臣秀吉から賜ったものとのことでいわば豊臣恩顧の人。


それだけに江戸幕府も機会を狙っていたのか、1614年には改易となり、

佐野の地はその後、天領になったり、幕政との関わり深い堀田家が治めたりを

交互に繰り返して幕末に至るという経緯をたどるのですね。


一方、領主の変転をよそに、こちらのお寺さんの方は

「御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等」、

徳川との関わりは深かったようで。


本堂の葵の御紋?


で、境内の一角には佐野東照宮が置かれているとのことでしたので、

「どれどれ」と近付いていったところ、そばを通りかかったおじいさんが

明らかに北関東のどこかからこられたと思しき独特の抑揚で

「東照宮はどこにでもあっから」と言うのを耳にして、どれどれの気分も急降下、

写真を撮る気も失せてしまったという。


ですが、東照大権現を久能山から日光へ遷す際、

この地に一泊したことから造営されたとなれば何の言われもないわけでなし、

もそっとしっかり見てくれば良かったとは後の祭りですが…。


と、歴史絡みの話ばかりになってますが、

ここへ来たからには厄除け祈願のお参りをしてとなりましょうね、やはり。


佐野厄除け大師のお参りにあたっては…


お参りにあたっては(と、また神社仏閣系知識に乏しいが故に、へえ~と思ったですが)

この小さな仏像に甘茶をかけ、お隣の鐘をひとつ叩いてから拝むというお作法でありました。

年回り的には厄除け対象ではないですが、方位除け対象には該当してしまうようでしたので、

今年に関しては佐野厄除け大師の御利益を願っておくといたしましょう。


子育地蔵尊@佐野厄除け大師


ふと、境内にずいぶん小粒なレレレのおじさんが?!と思いきや、

これが「子育て地蔵尊」であるという。


どう見ても小僧さんが掃除しているようにしか見えないですが、このお地蔵さんにしても、

一番上の本堂の写真で左手の方にきんきらしている麗水観音像にしても、

どうも観光客ウケを意識してる気がしてしまいますですね。


正月三が日の初詣の人出が50万人とも57万人とも言われている佐野厄除け大師、

もしかすると100万人の大台狙いで、上位進出の機を窺っているのかもしれませんですなあ。