駿河国総社の浅間神社 から浅間通り商店街 をずうっと歩いて通り抜けると、
駿府城跡はもう目と鼻の先でありました。


城の南西端にあたる四足御門跡から三ノ丸(だったエリア)に入れば、
たちまちにして、いかにもお城!な堀割と櫓が目に飛び込んでくるのですね。

駿府城二ノ丸坤櫓


堀の向こう、二ノ丸のちょうど南西の隅、つまり坤(ひつじさる)の方角に面していることから
坤櫓と呼ばれているそうな。


もともと、この坤櫓は安政の大地震(1854年、ディアナ号 沈没の原因となった地震ですね)で

倒壊してしまったのですが、このほど復元がなされて、

2014年4月3日から公開されるようになったばかりとのこと。
そういうことなら、どれどれ覗いてみようかいと思うところでありますね。

坤櫓案内フライヤー


少々東側に架けられた二ノ丸御門橋を渡って廻り込んで行きますと、
復元されたのは櫓のみならず、その周囲をわりと広く修復したのだなということが分かります。
石垣にも新たな石積みがなされたのか、こんなふうになっていますと妙にポップな感じがするような。

駿府城二ノ丸堀石垣


また、駿府城跡の全体を
駿府城公園(かつて駿府公園と呼ばれてましたが2012年に改称されたらしい)としていることから
植栽などにも手を掛けてのでしょう、つつじの花と聳えるお城の対比もまたポップと言えばポップかと。
(これを書いている5月上旬につつじは珍しくものの、訪ねたのは4月、静岡の温暖さを感じたものです)

つつじの向こうに駿府城


さて、坤櫓の中へと進むわけですけれど、まずは自動券売機で大人100円の入場券を購入する…
その券売機の近くに案内の人が立っていて、何せこの4月初めから公開されたばかりで
あまり知られていないのか、呼び込みにこれ努めているといったふう。


そんなところへ不用意に?入場券を買いに行ってしまったものですから、
ようこそ感丸出しで迎えられた上、「是非、今昔スコープもお試しくださいね」と売り込まれる始末。


話によれば、この「今昔スコープ」なるもの、
特殊なスコープを頭から被ると目の前にかつての駿府城の全景が立体的に映し出されたり、
火縄銃での的打ちの模擬体験ができたり…というものだという。


「きっと子供たちが順番待ちになっていて、大変でしょう」と

ややお愛想まじりに逃げをうったですが、

「いえいえ、まだまだ十分、空いてますから」と、

結局のところ体験料とやら別途500円也を投ずることに。


で、実際に「今昔スコープ」を体験した者としてですけれど、
こりゃあ改良の余地ありだなぁと思いましたですね。


目の前にやおら立体的な、そして空間的にも広がりある映像が映し出されるだけでも
くらくらしてしまう人は多くいることでしょうし、このスコープの装着をきちっとやっておかないと
(着けたまま部屋の中を動きまわることが求められるものですら)映像まではぐらぐらしてきて、
へたりこんでしまいそうにもなったり。


そして親切でだとは思うんですが、
「時空の間」(「今昔スコープ」のあるコーナーのこと)の担当者の方がたびたび
「こっちを向いてご覧なさい」「あっちも見てくださいね」と体の向きを変えさせようとするんですね。


確かに言われたとおりにすれば、そこには仕掛けた側が見せたいものがあったり、
何らか印の付いたところに視線を合わせると場面が変わったりはするものの、

実に実にせわしない。


落ち着いて映像を見、解説に耳を傾けている間もなく、

ゲームセット!てな感じでありましたですよ。


坤櫓内部を見上げる


建物としては、中から見上げれば白木の梁が

いかにも「新築そっくりさん」らしさを醸しているように
(実際は寛永年間の図面を参考にそっくりに新築したので「そっくり新築さん」ですが)
まだまだこなれていない施設・設備でありましょうから、だんだんと良くなっていくことでしょう。


ところで「記憶の間」という史料コーナーには、
この坤櫓復元完成にあたってオランダから贈られた「朱印状」のレプリカが展示されておりました。


徳川家康朱印状(レプリカ)


慶長14年(1609年)に徳川家康がオランダ船の往来を許可するものとして発行し、
原本は当然にオランダにある、その複製というわけですね。


こうしたものを見るにつけ、

やはり大御所政治が外交権を握っていたのだなぁと思ったものでありますよ。