今年になって1月から3月にかけ、
久しぶりにNHKラジオ第2放送のシリーズものを聴いていたのですね。
カルチャーラジオ「文学の世界」という毎週木曜夜に12回のシリーズで、
お題は「怪奇幻想ミステリーはお好き? その誕生から日本における受容まで」というもの。
実のところ「怪奇」は遠慮したい…、「幻想」もさほど…ということで、
ただただミステリー小説
への関心から聴いていたのですけれど、
これがなかなかどうして全体ひっくるめて興味深いものでありました。
ですので、放送が終わって4月になったところでテキストを読み返しつつ、
講座の中で紹介されていた小説をいくつか読んでみようかと思ったわけでして、
その第1弾(で終わるかもですが)がホレス・ウォルポール作「オトラント城奇譚」であります。
時は中世、南欧オトラントの城主の息子コンラッドは婚礼の当日、黒い羽毛に覆われた巨大な甲冑の下から血まみれの死体となって発見される。失意の城主マンフレッドは息子の婚約者イザベラに邪心を抱くが、城内には恐ろしい事件が続く…。怪奇小説の源流となるゴシック・ロマンスの始祖として不朽の輝きを持つ名作。
とまあ、どんなお話かというのを文庫の裏側から引用させてもらいましたけれど、
手にとっておいて言うのもなんですが、いやはや「げに恐ろしげ」ではありませんか。
とにかく怖いものが大の苦手だものですから、読み始めるのにひどく勇気がいりましたですよ。
そこまでして何で読むかということなんですが、
先の引用にもありますとおり「オトラント城奇譚」は「ゴシック・ロマンスの始祖」であって、
講座の中でも「最初のゴシック・ロマンス」と言われて初回に登場するからには読んでみよう…と。
ところで、各方面で登場する「ゴシック」という時代様式ですけれど、
これが元をただせば「ゴート人の」ということであって、
ヨーロッパ世界で理想とされたギリシア・ローマの文化をぶっこわしたゴート人とは
野蛮の象徴、破壊者のイメージでもあったと思われます。
ですから、最初はギリシア・ローマ礼賛VSゴート呪詛で、
ゴートはやり玉に挙げられる対象でしかなかったわけです。
このあたり、ゴート人もまた、中世にはヨーロッパ各所に定住していたゲルマン民族の
仲間であって、どうしてこうなっちゃうかな?と思わなくもありませんが。
そんなゴートの「ゴシック」が見直されたのはイギリスからということのようなんですが、
これの底にあったもの、それはフランスへの対抗意識であったというのですね。
ギリシア・ローマを理想とする文化の担い手たるフランスへの対抗上、
イギリスにしてみれば、同じ土俵で勝った、負けたという話よりも
全く新しい概念、価値観で勝負というところでしょうか。
野蛮の誹りを免れなかったゴシックをむしろ人工的でない自然なもの、本来的なもの、
これを知性でなく感性で受け止める、ロココの女性的美に対するゴシックの男性的美として
イギリスで確立されていくことになったのだそうでありますよ。
ですから、単に一面ではありましょうけれど、ゴシック・ロマンスと言われる怪奇小説では
淑女はすぐに失神してしまい、男性が活躍するてな構図にもなってしまうのやもですね。
とまあ、こうした思潮から生まれるべくして生まれてきたゴシック・ロマンス、
その嚆矢である「オトラント城奇譚」は1764年に生み出されます。
いざ読んでみると、今の感覚からすれば、
いくら読み手が怖がりであってもいささかも驚くにはあたらない。
むしろ新しい読み物として世に問われたものでありながら、
例えばシェイクスピア
あたりの戯曲を彷彿させる頓珍漢な会話
(「から騒ぎ」の夜警と領主とのやりとり同様の)が展開されたりする部分で、笑ってしまったり。
ただ、最新の映像技術でそれなりの脚本の下、
映画化したらとても見に行く気にはなりませんが…。
舞台設定として、古城、甲冑、地下通路、森、先祖の肖像…と、
その後のゴシック・ロマンスへと繋がるお膳立てはおよそ調っているものと思いますが、
目が向いたのはストーリーの方でしょうか。
簒奪された領主権、突然現れる亡き領主の忘れ形見、それに恋する二人の乙女、
それぞれに邪な思いを寄せる貴族たち…こんな辺りが綾なす、誤解と思い込みのストーリーは、
(これまたゴシック・ロマンスに受け継がれるのでしょうけれど)
韓流ドラマか「赤い」シリーズか?!てなふうでもあろうかと。
ところで、この「オトラント城奇譚」初版には序文が付されいるのですけれど、
それに続く物語は「旧家の書庫」から発見されたものであるとして、
さも実際にあった事件であるかのように見せかけているのですね。
これはあたかもライアン・ガンダー や野口哲哉 の作品に見られるような
作者の遊び心とも思えるところながら、その実、
当時としては画期的に斬新な実験小説であっただけに評価に対する不安があり
作者を匿名としておくために、付けられたものだそうで。
蓋を開けてみれば思った以上に好評で、
(実際、柳の下に二匹目のどじょうを狙う向きが同趣向でどんどん書いていく)
作者も実名を明かし、序文も削除されたというこの作品。
ではありますが、今や着目すべきその歴史的価値ということに
なってしまうかもしれませんですね・・・。