巷は春到来の3連休でもあったろうかと思いますけれど、

中間に挟まった土曜日にどうしても外せない仕事が入っていたものですから、

連休という感もなく…。


そして、その土曜日に読響の演奏会があったわけですが、

やむなく翌日に振替をして、わざわざ横浜みなとみらいホールまで行ってきたですよ。


読売日本交響楽団第70回みなとみらいホリデー名曲シリーズ@横浜みなとみらいホール


プログラムのメインは、

ブラームスのピアノ四重奏曲第1番をシェーンベルクが編曲した管弦楽版。


そうそうたくさん演奏機会のある曲でもなさそうなわりには、

個人的には巡り合わせといいますか、何度か聴く機会を得ているものの、

これまではどうもすぅーと入ってこない曲のひとつになっておりました。


ところが、クリスティアン・ヤルヴィ(ネーメの息子、パーヴォの弟)の

若く溌剌とした指揮(といっても指揮者としてはでして、40歳そこそこかと)からは

もつれのほどけた「ああ、こういう曲だったんだぁ」という演奏が引き出されて、

この曲に関しては曲を覆った霧が晴れて「もう大丈夫!」と思ったものでありますよ。


シェーンベルクの編曲はかなりオーソドックスといいますか、

冒頭の木管からフレーズを引き渡された弦が厚く響くあたり、

いかにもブラームスっぽく、これは「もうひとつの交響曲」かなとも思うくらい。


ですが、やがてシェーンベルクもうずうずし出したのか、

最終第4楽章にはシロフォン、グロッケンシュピール、タンバリン、トライアングル…と

鳴り物を派手に取り揃えたあたり、シェーンベルク作曲「ブラームス交響曲」とでも

言った方がいいような雰囲気に。


時折、管楽器(木管も、金管も)がいささかのえげつない鳴り方をしていたようですけれど、

これは曲そもそも(シェーンベルクの編曲の指示)なのか、指揮者の演出のひとつなのか、

個人的には「あれはどうも…」でしたけれど、まあ、今回は

曲の全体像を把握できたことでよしとしたいところです。


ところで、ブラームスの前に演奏された2曲が、いずれも映画音楽がらみでありました。

ひとつめがプリッツカーの「クラウドアトラス」交響曲から第4・5・6楽章、

もうひとつがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲というもの。


プリッツカーの方は、「クラウドアトラス」という映画(見たことないですが)の音楽を使って、

全6楽章の交響曲に仕立てたものということなのですね。


いかにも映画音楽に使われていそうなミニマルさを刻む弦の上に

あたかも生活騒音かとも思われるような管楽器、打楽器を被せていたあたりが

プリッツカーの創作なのかもしれません。


続くコルンゴルトの方は(これも今回霧が晴れた曲のひとつですが)、

1930年代に往年の二枚目エロール・フリン主演で作られたりした映画の音楽をモチーフにして、

それこそハリウッド映画らしい滴るようなロマンティシズムが濃厚な旋律で、

こりゃあエンニオ・モリコーネかぁと思ってしまったり。


素敵なメロディーであることには間違いないんですが、

元が映画なだけにヒーロー、ヒロインがどアップになって口づけを交わすようなシーンが浮かび、

むしろその背景でこそしっくりくるのかなと思えてくるのですね。

テンポアップした第3楽章では「こりゃ活劇シーンだな」とも。


考えてみれば、こうした印象を与えてくれるということは、

それでこそ映画音楽!とも言うべきものなのではないかと。

標題無しのヴァイオリン協奏曲という絶対音楽として、

「音楽そのものを聴いてね」と言われてもTPOがそもそも違うというか。


どちらが良い悪いではもちろんないですね、

映画音楽にも素晴らしいものはたくさんありますから。


ただ鑑賞形態として、映画音楽には見た映画を追体験するとか、

まだ見ぬ映画のシーンを思い浮かべながらとか、どちらかといえば音楽そのもの、

音楽だけを聴くものとは異なるような気がします。


そうしたことを考えてくると、

DVDなどによって映画自体を簡単に何度も見られるうような昨今には

映画音楽だけを取り出して愉しみとすることが、かつてよりも少なくなったのかもしれません。

音楽を聴くひつのジャンルとして「映画音楽」と言われていた時期もありましたよね。


ですが、こうした移り変わりと同時並行であるかのように、

映画音楽自体も魅力が薄れてきているような気がしなくもない。

ひと頃はこの映画にはこの音楽みたいなつながりがすぐに分かるほどであったですが。

と、こうしたこともまたノスタルジーでありましょうかね…。