由比宿興津宿 と東海道の宿場をぶらり歩いたことを書いていたりしますと、
どうしたって「東海道中膝栗毛」が思い浮かぶのも当然ではなかろうかと。


とはいえ、この江戸期のベストセラーを読んだことがないものですから、
こうした機に!と思いつつ、市立図書館で検索していたりしたところ、
「これも面白そうだ」というより「こっちの方が面白そうだ」という本に
行きあたってしまったのですね。


ですから「東海道中膝栗毛」の方をちと後回しにして手にとったのは
松井今朝子さんの小説「そろそろ旅に」でありました。


そろそろ旅に (講談社文庫)/講談社


駿府の町奉行所同心の倅である重田与七郎が本編の主人公。
江戸から町奉行に派遣されていた旗本の小田切直年に仕えるも、
やがて小田切は大坂の東町奉行へと配置転換となってしまう。


この辺り、お奉行の小田切は東京本社採用のエリートであって、
静岡支社長を大過なく勤め上げ、少々格上の大阪支社長に栄転。
大阪での働きによっては東京本社の部長職は約束されたようなもの…てなところかと。


一方で、駿府での地元採用たる重田与七郎らは上司がどう変わろうと
地域の現場で黙々と働く…といった例えにでもなりましょうかね。


もっとも、時代小説、歴史小説をして状況その他を今に見立てて
ビジネス・シーンにこんな教訓として役に立ちます的な話は
(世に数多くあって、それらしい作者名もちらほら浮かんだりしますが)
小説などとは言えず、所詮ハウツー本ではなかろうかと思いますですね。


作者の決め打ちで「こうした点は会社経営の神髄につながる」などとはっきり示されるでなく、
読み手が読み進めるうちに想像の中で「こうしたことって、今にも通ずるところがあるな」と
気付くようなことは小説にもある。


先の例え話はそんなふうに受け止めてくださいまし。

「そろそろ旅に」はいささかもハウツー本的ではなく、これは小説ですから。


ところでこの重田与七郎ですけれど、
駿府の町から離れることもなく同心として、そしてそれだけは食べてはいけず小商いもして
一生涯を送るであろう父親を見ていると(そればかりが理由ではないですが)、
ふらり旅にも出たくなってしまうのですね。


実際、家の縁が切れるのも厭わず、旅に出た与七郎はやがて大阪にたどり着きますが、
かつての上司である小田切が東町奉行となっていることを思い出し、
そろそろ腰を落ち着けるかと仕官を申し出、奉行所勤めが始まります。


しかし、「侍が性にあわんでは」と思ってみたり、
たまたま見初めた娘が大きな材木商の一人娘で縁あってその婿養子に入ったものの、
「商売は性に合わん」と思ってみたり、挙句女遊びに博打に走って離縁されたり…と
少しも腰は落ち着かない。


大阪で試みに新作浄瑠璃の一部を書くことで「物書きが向いてそうだ」と思い、
とある版元(出版社兼書店)に宛てた紹介状を持って江戸に向かうも宛先の版元はとうに倒産。
あわや路頭に迷うかというときに居候として潜り込んだのが、別の版元・蔦重であったのですね。


新興ながら飛ぶ鳥落とす勢いで店を大きくしていた蔦屋重三郎が

損得抜きで与七郎を構うわけもなく、やがて与七郎に

「山東京伝のようなものを書いてごらんなせえ」と。


当時の大ベストセラー作家である山東京伝の二番煎じ、三番煎じがたくさん出回る中、
多くの新進が何とか京伝とは異なる境地を開きたいと考えるわけですが、
そうした中に滝沢馬琴がおり、式亭三馬がおり、

そして与七郎も十返舎一九と名乗って参入するわけです。


が、与七郎には幼い頃からずうっと引き摺る陰の部分がありまして、
どうにもこうにもその陰が離れない。過去の囚われから逃れられないのですな。
この辺りは明らかに小説の虚構と思うわけですが、ここいらがあってこその本書であって、
ネタばらしをしては読後感を左右することにもなりましょう。


エピローグでは、「膝栗毛」が大当たりしてシリーズ化し、
これまで自身が旅した以上のことを書く必要から取材旅行までして書き続ける

十返舎一九の姿があります。

本当の十返舎一九が出来上がるには、

この間にあったこと(って、ここでは記してませんが)がどうしても必要であり、

不可欠なことだったのでしょう。


「そろそろ旅に」は本当の十返舎一九が出来上がるまでの与七郎を描いた

ビルドゥングス・ロマンで(とはちと大袈裟かもですが)、
しかも江戸期の出版事情やら当時の風俗やらが細かく書き込まれているという側面も

捨てがたい。


偶然出くわした本でしたが、いい出会いであったと思ったものでありますよ。