ちょこっとぶらぶら歩きするだけでも、あちらこちらに石碑やら銅像やらが目にとまりますですね。

それは「いかにも古いもの」然としていると、何やら大層な曰く因縁がありそうな気配で

思わず足をとめたりするわけですが、見るからに新しいものだとそれだけで興味半減となるような。


されど、先日見てみた富岡八幡宮の伊能忠敬像 (2001年)のように新しくはあっても

それがあることでその地と忠敬との関わりが改めて分かったりすることもあるわけで、

新しいからと言って「だめだし」しては、もったいない見落としのもとになるやも…と

思ったりもしたですよ。


そうした思い付きにでも至らないと、2013年に長崎に新しい像が造られたとして、

果たして興味を惹いたかどうか…。


ところで、この長崎の像ですけれど、中国の革命家・孫文を中心に

その両脇に孫文の支援者であった梅屋庄吉とその妻トクが寄り添うというもの。

TV東京で昨晩放送されたドラマ「たった一度の約束~時代に封印された日本人」の

主人公たちで、1911年の辛亥革命に関わった彼らの像が2013年になって、

しかも中国政府から寄贈されるという形でできた背景となる話をドラマ化していました。


明治元年(1868年)生まれの梅屋庄吉は長崎の貿易商の跡取りとされながら

若くして中国へ密航、アメリカへ密航、やがて香港で写真館を開いて地場を築きます。


そこで孫文と知りあった庄吉は、

中国王朝の打倒(ドラマの言葉では中国にも「維新」が必要)への孫文の思いに共感し、

惜しみなく支援することを誓うのですね(これがタイトルの「たった一度の約束」でしょう)。


その後、孫文との関わりを官憲から睨まれてシンガポールへ逃亡するや、

今度はそこで活動大写真(映画ですね)に接して、これを日本に持ち込み、

興行師となる傍ら映画制作にも取り組んで後の日活のもとになる会社を立ち上げる。


娯楽の王道となった映画での儲けをありったけ

孫文の活動資金として送金した庄吉とこれを支えた妻のトク。

彼らの提供した金額は現在の価値にすれば一兆円ともいわれる莫大なものだったそうです。


この資金援助を得た孫文は辛亥革命を成功させ、清王朝は幕を閉じるわけですが、

その後の中国の政情は果たして孫文が思い描いたとおりのものであったかどうか。

そして、庄吉、トクらの思いとは全く別に、日本そのものが中国の政情に介入していき、

やがては日中戦争の泥沼へと突き進んでしまうのですね。


結局のところ、こうした日本のありようが庄吉、トクらと孫文との関わりを秘すべきこととして、

庄吉自身が遺言としてもいい残す状況が生まれてしまいます。


日中の国交正常化は1972年と戦争終結後27年も掛かってようやっと。

厳秘とされていたことが人に知れるようになるのにはさらに時間が必要だったのでしょう。

大々的には2010年の上海万博で関連展示が行われたようです。


…とまあ、このように故あって語られない歴史が語られるようになるには

相当な時間が必要だということになりますですね。

いろんなことが眠っていたりするのかもしれません。


ところで、今回のドラマでこうしたことを知ることになったわけですけれど、

如何せん梅屋庄吉だけをとってもその波乱の生涯はとても2時間では語りつくせない。

さらっとなぞった感がドラマとしてはいささか残念だったかなと思いますけれど、

新たに光があたって点は前向きに受け止めようと思っておりますよ。