あっちこっちへ出掛けては見聞きしたことをあれやこれや書いておりますうち、

気付けばすっかり「洋行事始め回顧録 」をほったらかしにしてしまっておりました。


もはや「この企画はいったい何?」という方もおられようかとは思いますが、

何もかも忘れてしまわないうちにという、個人的思いからすれば

何とか完結までもっていきたいところであります。


前回は(といっても、8月以来の続きですが…)ニュルンベルクに到着したところまででした。

それではあちこち回ってたどりついたドイツの旅の思い出、

引き続きお付き合いいただけましたらと思っております。

(ちなみにとっても古い記録ですので、今との違いは多々あろうかということだけは改めて…)





こうして 到着したニュルンベルク。
案内所でもらったパンフレットによれば、交通博物館やおもちゃ博物館、

デューラーの家なんつうものあるらしい。

ひとしきり見て回ろうかいと目論んだのですが、どうも出向いた先々で施設がお休みなのですね。


いったいどうしたこと?と思ったわけですが、

施設の貼り紙には決まって「Fasching Dienstag」と書いてあったような。


「Dienstag」は「火曜日」と分かりますが、「Fasching」が分からない。
後から気付いてみれば、要するにカーニヴァルのことであると。


日本語的にカタカナで「カーニヴァル」と言うと、

それこそ「日劇ウエスタン・カーニバル」(古!)のように

単に「お祭り」という意味合いでしか使ってないようなところがありますが、
こちらは宗教や風俗的なものと大きく絡んだ本当の謝肉祭。


そこのところの意味合いも知らずに、

どこも見て回れないことが何とも損した気分になったものでありますよ。


ですが、その時にはそんな事情をよくいないものですから、
「ニュルンベルクがダメならハイデルベルクがあるさ」(水前寺清子の歌みたいですが)とばかり、
ハイデルベルクに移動して、結局のところハイデルベルク城も何も「Geschlossen」(Closedの意)。
やはり予備知識は持っているにしくはなしと心に刻むところでありますね。


ただ、ハイデルベルクではちょっとしたエピソードが。


ここまでヨーロッパを回ってくるうちに、
いつしかすっかり横断歩道で信号を守るということが無くなってきてました。


何しろ赤信号でも渡れると判断すれば、皆どんどん渡って行くようなところばかりを目にしてきましたし。
「郷に入らば郷に従え」ではありませんけれど、同じようにふるまうようになっていたわけです。


でハイデルベルクでも、誰しも「Fasching Dienstag」はあちこちお休みと知っているのか、
観光客などもおらず、通りは閑散としていたものですから、

ふっと赤信号の横断歩道を渡りかけたのですね。


すると、やおら叱責(と思われる)ひと言が飛んできたのですよ。

振り返ってみれば、そこに一人のおばあちゃん。
現地の人だと思われますが、「信号は守らにゃいけん」というわけですね。


足を向ける方向が同じだったものですから、そのまましばし愚痴の聞き役になったのですが、
どうやら「近い頃の若い者は…」的なところも。


日本では今でもかなり歩行者が信号を守っていると思いますけれど、
ドイツでもおそらく昔はそうだったのだろうと、おばあちゃんのようすから窺えました。


そうしたところがいわばドイツ人気質でもあって、ある種、日本人とはウマが合うというか何と言うか。
きちんとしたところがあるといいますか。


ところが、何せヨーロッパは地続きですし、

当時の東側は別としても西側諸国はかなり往来が自由になっていて、
習慣やら風俗やらも言わば易きに流れる傾向があったのでしょうか、
おばあちゃんの嘆きはそのようなところではなかったかと。


てなことを書きますと、さぞやドイツ語ができるのでは…との誤解を生むやもしれませんが、
所詮は第二外国語に毛が生えたくらいですから、推して知るべしでありまして、
とまれこうしたことは下手な観光地詣でよりもよく覚えているということでありますよ。


と、どうにも不発に終わったニュルンベルク、ハイデルベルクの観光ですが、
一日の終わりには列車でフランクフルトへ移動。


普通ならここで宿を見つけて…となるのが自然と思われるものの、どうもガイドブックには

「フランクフルトは経済都市であって、さほどの見ものがない」ようなことが書いてある。
そうなると、旅の終わりもだんだんと近づいている中では、ここで泊まるよりもと考えるわけでして。


で、考えた結果ですが、フランクフルト発の夜行列車で一気に北へ移動しようということに。
そうするとまた宿代も一泊分浮くわけですし。


列車の終着駅はハンブルク、コンパートメントでひと眠りすれば到着となるわけですが、
そのあたりのことはまた次にということで…。(つづく)