三島は取残された、美しい町であります。
町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、
それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に
残る隈くまなく駈けめぐり、
清冽の流れの底には
水藻が青々と生えて居て、
家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、
台所の岸をちゃぶちゃぶ洗ひ流れて、
三島の人は台所に坐ったままで
清潔なお洗濯が出来るのでした。

太宰治が「老ハイデルベルヒ」に記したように
三島というところはとてもとても水に恵まれた町でありました。
そういう認識をちいとも持っていなかったものですから、「ほお~!」と思うくらい。


楽寿園 内の御浜池は見事に枯れているのは例外というか、特別な事情によるのでしょう、
園の裏門とも言える南門を抜けるとそこにはさっそくにせせらぎが。


せせらぎ回遊ルート@三島


源兵衛川といって「平成の名水100選」にも認定されているとのこと。
もっとも「平成の」とあるように、こうした「○○百選」みたいなのは
どんどんどんどん作られていきましょうから、気にしだすとこれまたキリがないところですが。


源兵衛川


で、三島市内というか三島駅に近い繁華な辺りでもせせらぎが身近なようで、
これをぐるりと回ってみる「せせらぎ回遊ルート」なる散歩道が設定されているのですね。
「街中がせせらぎ」というキャッチフレーズにカワセミをあしらったデザインのマークは
何とも清々しい印象です。


三島は「街中がせせらぎ」


ところで、源兵衛川からちょっと外れて昼飯にと出向いたのがうなぎ屋さん。
これまた訪ねるまでちいとも知らなかったことながら、
三島はうなぎ屋の多いことで知られてるのだそうですね。


同じ静岡県でも産地としては浜松が全国的知名度を誇っているわけですが、
なぜ三島でうなぎ?と思いましたら、ここでもやっぱり湧水 がらみ。


産地から運ばれたうなぎは三島の清冽な水に一週間ほども晒されて、
臭みも消えるそうなのですな。確かに美味しくいただきました。


三島のうなどん


と、ここへ来て伊豆国一宮である三嶋大社を素通りしてはいけんねと
短時間滞在ながら立ち寄ってみたのですね。


三嶋大社


源頼朝 が源氏再興を祈願したと言われるお社はなかなか押し出しの良い豪壮なもの。
創建未詳ながら奈良時代の古文書にも記録が残されているという長い歴史ですけれど、
件のディアナ号 が下田で被害を受けた嘉永7年(1854年)の大地震でもって、
社殿その他もろもろ倒壊してしまい、現在に残るのは十年余りの歳月をかけて
慶応2年(1866年)に再建されたということです。


お参りも早々に駅に引き返す時間となってきたところで、
これまた辿る道筋が「水辺の文学碑」というせせらぎルートの一部分。
冒頭に引用した太宰の一節や若山牧水の歌などが、
岸辺にぽつりぽつりと建てられた文学碑にありましたですね。


この水上通りと呼ばれる川岸の道を進んでいきますと、
やがて水辺と近く触れあうことのできる公園に到達。
その一角には歩いて来た人ののどを潤す粋なはからいが。


富士の雪解け水をどうぞ


以前、三島に来たときは「クレマチスの丘」でビュフェを見ることしか頭になくって
市街を歩くなんつうことを考えてもみなかったんですが、
いざこうして歩きまわってみますと、知らなかった新しい顔を垣間見た気がしますですね。


と言っても、そうした思いは三島に限らずなのでして、
いずこでも新しい発見に満ちた旅でありましたですよ。
長らくの「伊豆富士見紀行」もこれにて幕切れでございます。