やっぱり「見たいな」と思った映画を見逃したままにしておいてはいけんですねえ。

先日「脱走特急 」を見つけたのと同じように、タイトルを見かけて「お!」と思った

フランソワ・トリュフォーの「映画に愛をこめて アメリカの夜」という映画のことであります。


アメリカの夜 特別版 [DVD]/ジャクリーン・ビセット,ヴァレンティーナ・コルテーゼ,ジャン=ピエール・レオ

公開当時に「見たいな」と思ったですよ。

当時は「ロードショー」なんつう月刊誌(集英社の雑誌ですぅ)があって、

新作情報あたりで紹介されていたものはほとんど見たいと思ったものですが…。


ですが、日本公開は1974年9月だそうですから、その頃はまだお子様でして、

こうしたフランス映画には相当に敷居の高さを感じていたのですね。


そしてタイトルから何から忘却の彼方へとしまいこまれて40年!

ついに再会、といか初見に及んだのでありました。


それにしても、フランソワ・トリュフォーという人は映画が好きなんですなぁ。

今ではシンプルに「アメリカの夜」と言われてるみたいですが、

公開時は先に書いたように「映画に愛をこめて」というのが前に来てました。


これって、なんのこと?と思ってたんですけれど、

見てみてようやっと分かったのは、要するにこの映画のことでなくって、

この映画を作ったフランソワ・トリュフォーの姿勢に

「監督は、映画に愛をこめちゃってますものねえ」と敬意を表してつけたのかなと。


まあ、映画製作者の方々にはトリュフォーに限らず、

「とことん映画好き」という人は多々おられようかと思いますが、

映画を題材にして映画を撮り、その映画で映画の魅力を伝えられるというのは

そうはないんでないですかね。

それだけトリュフォーが筋金入りだということでしょう。


ひとつ、トリュフォーが映画に没頭していると思しきエピソードとしては、

ヒロイン(ジャクリーン・ビセット)が撮影外の私的な部分で語った言葉を

そのまんま台本に入れ込んでしまうところなんかが、そうでしょうね。


パクられた方としては

「気のきいた一言、言っちゃったもんね」的なことなら「映画に使う?どうぞどうぞ」かもですが、

ごくごく普通の会話、それがむしろ独白に近いような心情吐露であったとしたら、

あんまり以上にまったくもっていい気はしないですよね、やおら台本に使われたら。


ですが、トリュフォーの方はそんなことは考えない。

会話の中に現れる言葉のひと言、ひと言も「お!それ、いい!」となると、

もはやその言葉からすでに広がるシーンがイメージできちゃったりするのでしょう、

言った本人のことなどそっちのけになってしまう。


で、これがどうやらこの映画の中でのことではないようで、

実際にカトリーヌ・ドヌーヴがトリュフォーに私的に語った言葉が作品に取り込まれ、

別の女優のセリフになっていたのを知ったドヌーヴが呆れかえったてなことがあるようです。


ところで、「映画に愛をこめて」の部分はいいとして、

では「アメリカの夜」とはどういうこと?とも思うわけですが、

これは原題からして「La Nuit américaine」、まんまアメリカの夜だそうですね。


撮影カメラのレンズにフィルターを掛けることで、夜のシーンを昼間に撮影する…

そうして出来る疑似的な夜を「アメリカの夜」というのだとか。

この「擬似的な」ということは、ありていに言って映画全体にも言えることで

そうしたシンポリックな意味合いでもあるのかもしれません。


と、ストーリーには全く触れずに来ましたけれど、

映画の撮影も、映画を作り出す人々の姿も裏側からこっそり覗き見るような気にもなるのが

この映画でして、映画がお好きな方なら見逃す手はない(と、見逃していた方が珍しい?)だけに

やはりストーリーにいっさい触れずにおくとしましょうね。