たびたび触れておりますように個人的にはこてこての文系人間(?)であったものですから、
理系科目はことごとく不出来であったとは正直に白状してしまうのですね。


ですが、これがいざ科学史みたいなことになってくるといささかの興味がわき起こるところでして、
大学の一般教養では「数学史」を履修して、何とか自然科学系科目をクリアしたという実績もあります。
(もっとも楽勝科目と言われていましたから、自慢にも何もなりませんが…)


というようなことを思い出した背景としましては、
ヒストリーチャンネルで「数学の歴史」という5回シリーズの番組が目に留まり、
このほど一気見に及んだから…とまあ、こういう次第なのですよ。


まずは古代エジプトで誕生した「数字」の話、続いて古代ギリシアでピタゴラスのお話、
お次はインドに移って「0」の発見にまつわる話、時代は飛びますが
ニュートンとライプニッツによる微分法の発見者争いのお話、さらに時代は飛んで
現代、フェルマーの最終定理とポアンカレ予想の証明に関するお話…というのが各回の中身。


紹介される中で登場する法則やら方程式やらへの理解ははっきり言ってさっぱり?ながら、
それでも興味深いものではありましたですねえ。


原題は「Math and rise of civilization」となっていて、
「数学の歴史」というよりは受ける印象がとっつきやすかろうと想像いただけるのではないかと。
ということで、興味の引かれた部分を少々備忘としてとどめておくといたしましょう。


まずもって古代エジプトで数学(的発想)が発達した背景には
ナイル河の氾濫がある…という辺りから。


一面茫漠とした砂地であったエジプトの地でありますけれど、
ナイルの上流にあたるエチオピアやウガンダには雨が多く、
決して絶えることのない水の流れをエジプトにもたらしていたようです。


しかも、そのナイルが氾濫することによって、

水が引いた後の土地が肥沃になるというおまけ付き。

ですが、ナイル沿岸の土地のようすは氾濫の前後ですっかり様変わりしてしまい、
新たに測量し直す必要があったのだとか。


元より土地の区画が整然としていたわけではありませんから、
さまざまな形の土地の面積(今から見れば概算で合ってるてなふうでもありますが)を

求めなくてはならない。


時には円のような土地も果たしてあったのかどうかですが、 
とある書記(神官の一種でしょうか)がパピルスに書き記した数学問題集には
(円周率が未知の時代ながら)円の面積を求める例題が残っており、
何と!その数学問題集の現物が大英博物館に保存されているというのですね(ほぉ~)。


こうした必要から、古代エジプトでは「数」を表す文字、

即ち「数字」が使われていたんだそうですが、例えばローマ数字なんかもそうですけれど、

5とか10とかいう一定のかたまりに達したときに桁上がりにあたって
該当する「数字」を新しいものに置き換えることが行われておりましたですね、

「Ⅰ」「Ⅴ」「Ⅹ」「Ⅽ」のように。


この表記法に革命を齎したのがインドでの「0」の発見ということになりまして、
1、2、3、4、5、6、7、8、9と来て桁上がりするときに「10」となり、
その次には「100」、「1000」…と後ろに「0」を付ければ

際限なく大きな数字が作れてしまうという。


もっともインドでは「0」の発見があったというにとどまらず、

1から9までを各々独自の形の文字で書いており、
それがアラビアを経由してヨーロッパに入ったがために「アラビア数字」と言われるものの、
その実は「インド数字」と呼ぶのが歴史的には正しいのでは…ということでもあるようです。
(これって、常識なんでしょうか。初めて知りました)


一方でピタゴラスですけれど、

直角三角形における有名な定理(三平方の定理)をひらめいた人でありますね。


直角三角形を囲む三辺の比が例えば3:4:5になったりするのを見ると、
整然としており秩序を感じるてなところから世界は整数比で出来ているといった考え方をしたのだそうです。


これがピタゴラスを信奉する追随者となれば考え方はさらに尖鋭化し、
つまりは宗教的な意味合いでまで捉えてしまったのだとか。


そこで、仲間内のひとりがふと思いついて、
直角二等辺三角形の三辺の比が整数比にならない(1:1:√2)ことを指摘すると、
ほとんど袋叩き状態にあったりもしたそうな。


こうしたことを経ながら、数の概念は広がっていくわけですが、
ちなみに「負の数」は結構古くから中国にあったそうですね。


認識の仕方としては「正の数」は財産、「負の数」は借金(負債)として捉えていたらしい。
では借金を払い終わったら、今でこそ「0」になったと言えるものの、
「0」のない時代は単純に借金が帳消しになった…で、おしまいと受け止めていたようです。


負の数、無理数と出て、一気に付いていきにくくなる世界になりますが、
18世紀になってオイラーという人がフェルマーの最終定理に挑む中で
「虚数」(2乗した結果がマイナスになる数)を使ったりしています。
(虚数の発見?自体はオイラーより以前だったようですが)


結果的にオイラーは証明できずに最終的な解決は20世紀にまで持ち越されたわけですが、
20世紀、21世紀の人にとっても、18世紀にオイラーが使った「虚数」そのものが
イメージしにくいですねえ。


2乗するということは元の数字が「+の数」でも「-の数」でも
掛け合わせれば「+」になると中学校で教わったですから、結果が「-」になるとは
元の数字っていったい何よ?と。


もはや異次元の発見に等しいようなものではなかろうかと思ってしまうところです。

が、文系人間が付いていけない世界はどんどん進むのでして、
微分積分と聞けば知らんぷりして脇道を進みたくなりますなぁ。


実のところはオイラーよりもそっと前の人たちですが、ニュートンとライプニッツの争いのこと。

どうやらニュートンが微分法の考え方を先に思いついたらしいですが、発表も何もしないうちに
ほどなくライプニッツがやはり思いついて、これを発表。おいおい待てよとニュートンがいい、裁
定を時の科学世界の権威であったイギリスのロイヤル・ソサエティーに委ねることに。


ライプニッツもここの会員でしたけれど、ニュートンは何と会長職にあったそうで、
もはや結果は火を見るより明らかでありますねえ。
ライプニッツは失意のうちに亡くなってしまったのだそうでありますよ。


ですが、先のとおりに歴史的事実としては

やはりニュートンの方が先んじていたようであるものの、
今現在に至るも微分法として教えられるものはライプニッツ方式なのだということを、
墓の中でライプニッツ氏はご存じなのかどうか…。


と、やたらに長く書いてますが、最後にポアンカレ予想のことを。
といっても、番組内で「ポアンカレ予想とは?」と識者に尋ねるも途中で

「もう少しやさしく」とお願いし、それでもピンと来にくいところから

CGでの説明に切り替えられてしまったことからも、
言葉で尽くしにくいものなのでしょう。


ですから多くは語りませんけれど、
ここまで来ると「これ、数学なの?」と言うのが文系頭の思うところでありますよ。
文系、文系と言ってますが、も少しちゃあんと臨めば、理解できたものであろうか…(反語)。